二つの狂気が出会う時
関西弦楽器製作家協会の展示会が昨年に続き今年も展示会が中止となってしまいました。
今年は特別展としてガルネリ・デル・ジェスのカノーネモデルの楽器展が予定されておりました。
そして、そこで設置する事になっていた解説パネルを私が執筆させて頂いておりました。
お蔵入りとなっておりましたが、折角ですので、ここで公開させて頂きます。
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「パガニーニは繰り返さない」これはイタリアではよく聞くフレーズです。同じ事を繰り返すのが面倒な時によく使われる言い回しで、サルデーニャ国王カルロ・フェリーチェ王に頼まれてもアンコールをしなかったというパガニーニの逸話から来ています。 そんな、音楽史の中でも異彩を放つ天才バイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840) 彼の生涯は余りにも沢山の伝説や逸話に纏われ、生涯を正確に把握する事がとても難しいバイオリニストです。特に、青年期の19歳から22歳にかけては、突然全てのキャリアを捨て、聴衆の前から消えた「謎の時代」と呼ばれており、その足跡は正確には分かっていません。
数少ない資料の中で、友人に宛てた直筆の手紙に「この頃は農家仕事に従事して、ギターを弾いていた」また、「令嬢の家に転がり込んでいた」と書き残しており、既にイタリア国内では天才として絶大な名声を手に入れていた彼が、音楽の世界から離れようとしていたのは間違いないようです。 しかし、この時期に彼は、その音楽性をさらに開花させるバイオリンとの出会いをしていたのです。このバイオリンとの出会いについて彼は何度も違う証言をしていますが、当初、「コンサートのために訪れていたリボルノで、賭博に負けバイオリンを手放す事になったが、フランス人商人が現れバイオリンを贈られた」と語っていました。しかし晩年、友人へ送った手紙には、「1804年22歳の時にミラノのピーノ将軍からバイオリンを贈られた」と記しており、こちらは他の資料とも一致します。
繰り返さないはずのパガニーニが、何度も脚色してまで語るほど重要な出会いとなったバイオリン、それがガルネリ・デル・ジェスの1743年製のバイオリン、後にその力強い音質から「カノーネ(大砲)」と呼ぶ事になるバイオリンでした。
パガニーニはこの楽器に導かれる様に、彼の代名詞とも言える名曲「24のカプリース」の作曲に取り掛かって行きます。その後パガニーニは、大スターへと上り詰めていき、その名声に惹きつけられるかのように、数々の名器が彼の元へ集まってきました。しかし、彼は最後まで「カノーネ」を弾き続けたのです。 この若きパガニーニを魅了し、その音楽性を開花させたガルネリ・デル・ジェスの名器「カノーネ」とは一体どういう楽器なのでしょうか。
ガルネリ・デル・ジェス(Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698ー1744)のバイオリンは、それまでのバイオリン製作の歴史を覆すほど独創的で、その造形から生み出される音もまた、他に代えがたい魅力を放っています。 それを決定づけているのは、何といってもその独特なボディとF字孔です。
ストラディバリと比べるてみると、上下のボリュームはどちらも似ているのに対し、ガルネリ・デル・ジェスのC部が大きく開いているのが分かります。実際に計測すると、ストラディバリよりも平均して3mmもC 部が開いています。 この独特のアウトラインは、ベースはジロラモ・アマティが完成させた「グランドパターン」からの影響が指摘されており、特に1740年以降の最晩年はその一致率がより高くなっていく一方で、C部の開きはより増していく事になります。 そして、ガルネリ・デル・ジェスのF字孔は、後期になるほど大胆に長くなっていき、1740年以降はその傾向がより顕著に現れます。その中でも最晩年のカノーネなどは、ストラディバリのF字孔よりも5mmも長くなっており圧倒的な長さを誇っています。
現代の音響解析の技術では、楽器のボディがどの周波数を増幅するかを見ることが出来るのですが、ガルネリ・デル・ジェスは、堅牢さとF字孔が影響する周波数(A0 mode)がとても高く、強く検出されます。この周波数は楽器の音全体に影響を及ぼし、特に低音においては如実に表れ、強く出るほど低音の音量に影響すると考えられています。この事が「迫力のある低音」と形容されるガルネリ・デル・ジェス独特の音を作っているのではないかと考えられています。そして高音域においても、表板F字孔周辺と裏板の中心部が大きく隆起して起こる周波数(C4 mode)が強く出ています。これもストラディバリでは殆ど見られない周波数で、これが「カノーネ」では「豊かな高音」と形容された音を作っているとも考えられているのです。
更に、マサチューセッツ工科大学の実験では、F字孔のアウトラインに沿ってエネルギーを放出する事が分かっており、ガルネリ・デル・ジェスのF字孔の圧倒的な長さは、クレモナのバイオリン製作の開祖であるアンドレア・アマティのF字孔よりも30%もエネルギーを多く発生させている事が分かっています。この事が、「カノーネ(大砲)」とパガニーニが呼んだほど遠くにまで届くエネルギーを発生させているのかもしれません。 この様に、ガルネリ・デル・ジェスは意匠として伝統を覆しただけでなく、その音響効果もそれまでにないものを生み出していた事が、最新の研究で分かってきているのです。
この楽器史の中でも狂気と言えるほどの異彩を放つガルネリ・デル・ジェス、その中でも突出した楽器「カノーネ」。そして、音楽史を変えるほどの才能をまだ持て余していた若きパガニーニ。この二つが出会った時、音楽の歴史の歯車がまた動き出したのでした。 1837年、死期を悟ったパガニーニが、愛器「カノーネ」を故郷のジェノバ市に、永遠に保管する事を条件に寄贈する事を申し出でます。以降、現在でもジェノバ市のトゥルジ宮「パガニーニの間」にて大切に保管されています。そして、その向かいには、とてもよく似た楽器が展示されています。 1833年パリ、パガニーニがバイオリン製作家ジャン=バティスタ・ヴィヨーム(1798-1875)の下に、「カノーネ」の修理を依頼します。ビヨームは早速この「カノーネ」をコピーし、パガニーニに贈呈しました。このコピー楽器もパガニーニが終生大切にしました。亡くなる数か月前に、弟子のカミッロ・シヴォリに売り、その代金であった500フランを御礼としてヴィヨームへと送っています。そんな素敵な関係を結んだビヨームの楽器、これが史上初めての「カノーネのコピー」です。 その後、数多くの有名製作家達がその後へと続き、「カノーネ」を参照しコピーをしてきました。長い楽器史の中でも、特定の楽器がここまで参照されるているのは、この「カノーネ」以外にありません。もはや一つの様式となっています。
天才パガニーニをパガニーニたらしめ、そして数々の名工を魅了し続けているガルネリ・デル・ジェスの「カノーネモデル」。
残念ながら、展示会は開催中止となってしまいました。しかし、まだこの展示会の為に製作された特別な楽器をお持ちの製作家もいらっしゃるかと思います。是非、お近くの会員のお店にお尋ねください。
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西村翔太郎
1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。国内外の製作家を訪問し製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。ダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。
現在は作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの生家に工房を構えている。
2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。
2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。
2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。
2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。
Projecto A.N.I.M.A研究員
District of Cultral Violin Making Cremona会員
関西弦楽器製作者協会会員
主な楽器使用者
アレクサンダー・スプテル氏
(ソリスト・元SSOコンサートマスター)
森下幸次 氏
(ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)
木村正貴 氏
(東京交響楽団フォアシュピーラー)
立木茂 氏
(ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長
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