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 ダーウィンは孔雀が嫌いであった。
孔雀と言えば、あのオスが優雅に広げる絢爛豪華な羽だが、あれがダーウィンをイライラさせた。
それはなぜ孔雀のオスが絢爛豪華な羽を獲得し生き残っているのか、ダーウィンの進化論のベースとなっている自然選択説ではどうしても説明がつかなかったからだ。
『種の起源』で主張した自然選択の論理では、生き残る為により有利である形質が残り、受け継がれる事になっている。しかしどう考えても、孔雀の雄の羽は生き残るには不利だ。
広げた途端、天敵に「どうぞ食べて下さいと」アピールしているようなもの。さらに、たたむのにも時間が 掛かり、逃げる為の飛翔能力も著しく低下している。どうしてもこの非実用的な羽の説明が見つからないダーウィンは、『人間の由来と性の選択』において、オスとメスの社会的関係に依存する、つまり純粋な見た目の好みで生殖有利が発生すると言う性淘汰説を発案し、説明をつけることにした。
こうして、ダーウィンの提唱した進化論は、自然選択説と性淘汰説の二本柱で発展していくことになる。
(孔雀については分子生物学に移行した現在でも研究者を悩ませている)

さて、なぜこの話をしたかというと、バイオリンに開いているF字孔の進化について、進化論的に言及する研究がマサチューセッツ工科大学から出たからである。

 バイオリンは機能と優雅さを両立させている。
各部位のデザインは1000年もかけて進化し、機能美の極致と言っても良い域に達している。
バイオリンを思い浮かべる時、その優雅さを決定づけているのはF字孔では無いだろうか。
流体的な曲線の中にも角があり、しっかりとラインを引き締めていて、優雅さの中に厳格さと気品をたたえている。
 このF字孔など、楽器に開いている穴を共鳴孔と呼ぶが、この共鳴孔は7世紀にラバーブから発展したケメンチェには既に見られる構造だ。それらの楽器がバイオリンへと進化する中で、共鳴孔はF字孔へと進化していった。当初、円形や半円形だったものが徐々にF字孔へと進化したのは、楽器の構造の変化と耐久性の面、音響面、そして美しさにおいて優れている形へと、様々な形を試行錯誤し、自然淘汰が行われてきた結果だ。
この事は、「バイオリンは”突然” “クレモナ”で生れた」などと断言する事無く、欧米で楽器の歴史に触れたことが有る製作家であれば認識している事である。
しかし、一般的にはF字孔が生まれた経緯を一次元的にまた神秘的に語られる事がとても多い。
(昨年末のイタリアの国営テレビの番組で著名な美術史家が「バイオリンのF字孔はクレモナの大聖堂のファザードの装飾から採用されたのである」と断言していて、閉口してしまった。)

マサチューセッツの論文より。各楽器の時代設定が間違えているので注意

 2015年マサチューセッツ工科大学で行われた実験は、1500年にも及ぶ歴史の中で、弦楽器製作者が一体何をしてきたのかを鮮やかに説明してくれている。
楽器は弦で発生したエネルギーを楽器が共鳴して増幅し、音へと変換されるのだが、その時、楽器のボディーはポンプのような動きをし、空気が共鳴孔から一気に押し出される。この現象は「エアフロー」と呼ばれる。マサチューセッツ工科大の流体力学の研究グループが、各楽器のエアフローの様子を視覚化することに成功した。
 この時のエネルギーの分布を見ると、アウトラインの周辺だけでエアフローは起こっており、中心部では殆どエネルギーの放出が起こっていなかったのである。つまり、穴の面積だけを広げても、構造的に弱くなるだけで、音響効果はさほど見込めないということだ。
共鳴孔が円形から半円、そして複雑な流線型へと至ったのは、構造的により強固でありながら、外周を増やすことでエアフローが起きる面積を増し、音響効果も向上させていたのである。
共鳴孔の変化は、ただ見た目の美しさを追い求めていただけではなかったのである。これを感覚と経験だけで1000年かけて進化させた、数々の職人達に頭がさがる思いだ。まさに自然選択説と同じ原理でF字孔も進化していたのである。

 ではF字孔が完成してからの500年間はどうであったのか。進化は歩みを止め、装飾美の追求に終始してきたのであろうか。
マサチューセッツ工科大の論文ではそこにも言及している。
実は、バイオリンのF字孔も少しづつ長くなっているのである。これはバイオリンのF字孔についての別の音響研究でも明らかなように、音響効果を向上させている。しかしマサチューセッツ工科大学の論文では、作家ごとの長さの違いはナイフによる誤差の範疇で、0.5mmずつ長くなっており、2世紀の間に30%長くなり、エアフローが60%上昇させていると結論付けている。
コピーエラーが起こる過程で、より美しいものが選ばれた結果、音響的にも進化したという性淘汰説的な観点から語られていたのである。正確には性淘汰説の中でも、見た目の好みが偶然に生存に有利な遺伝子の発現にも関わっているとする、指標説的な観点であろか。



 確かにそういう事もあったであろう。しかしこれには製作家として違和感が残る。
我々製作家にとって、0.5ミリは完全にコントロールしなければならない数値だ。過去の偉大な製作家の手の中で偶然起こり得るには無理がある。例外はガルネリだが、1800年代以降はガルネリモデルすら様式化されコントロールされてきた。製作家からすれば、F字孔のデザインは、より美しく更に音楽家からの評価も高い、過去の成功例を参照しコピーされ、意識的に受け継がれた形質なのだという方が妥当である。


 生物が進化するのは、自然の摂理か神の手か。人間を超越したものが介在する。
楽器を進化させるのは製作家だ。今一度、この新しい実験を元に、より意識的に楽器の進化に介在しなくてはならないと思う。




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西村翔太郎

1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。吹奏楽でトランペットを演奏していたことから楽器製作を志す。偶然テレビで見たオイストラフのドキュメンタリー番組に影響を受け、ヴァイオリンに興味を持つ。国内外の製作家を取材するなど製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。ダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。
2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。
2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。
CultralViolinMakingCremona会員
関西弦楽器製作者協会会員

主な楽器使用者

アレクサンダー・スプテル氏
(ソリスト・元SSOコンサートマスター)
森下幸次 氏 
(ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)
木村正貴 氏 
(東京交響楽団フォアシュピーラー)
立木茂 氏  
(ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長)