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 イタリアを歩いていると、教会や住居など、あちこちに立体的な渦巻装飾を見る事が出来る。
20年前にイタリアに住み始めた時、バイオリンのスクロールと同じモチーフが街中に溢れている所を見て、バイオリンが生れた国なのだと至極、納得したものである。
 バイオリンは歴史の集合体といっても良いほど、様々な歴史を内包している事は、過去の記事で繰り返し書いてきた。
一つ前の記事でも、F字孔の歴史について触れ、以前の記事ではヴェネツィアの歴史にまで言及した。
そんなバイオリンのパーツの中でも、圧倒的に長い歴史を内包しているパーツがある。それがバイオリンの上部についているスクロール・渦巻である。
弓で弾く楽器自体の歴史ではせいぜい1300年前に遡る程度だが、スクロール・渦巻装飾となると4000年以上前にまで遡る事になるのである。そしてその過程では日本との繋がりまで見えてくる事になる。

 そもそも楽器にスクロール装飾が様式として用いられだしたのは、バイオリンの先祖であるViola da Braccio、後期Lira da Braccio辺りの事である。(Viola da Braccioと後期Lira da Braccioは名称が混同して使われることが多く判別も難しい)
それ以前の楽器Viuella(Viella)では垂直にペグを刺して弦を巻く機構が主に使われていた。しかし同時代、より細かな調弦が可能な、北アフリカ・イスラム圏で使われていた後期ラバーブの「ペグボックス」の機構が、後期Ribecaで用いられ始める。これは小型で調弦が難しいRibecaには必要であった為と思われるが、このペグボックスの機構が後期Viuellaでも用いられはじめ、後のViola da Braccioにも採用されていく事になる。
 その角度を付け流線型を描くペグボックスの機構を、そのまま切って終わるのでは造形感覚としてはなんだか不自然だ。その為、ペグボックスの上に様々な装飾が付けられていく事になる。ライオンの頭や、人や天使の頭、貴族の紋章、そしてその中にスクロール・渦巻装飾も施されるようになっていく。
その後、バイオリンへと発展した時、あくまで装飾のため表現は自由な箇所であるはずで、たしかに初期にはライオンや天使の頭の装飾も見られたものの(ドイツなどでは暫く続いた)、初期のバイオリンから直ぐにスクロール・渦巻装飾がメインとなっていったのは、Viola da Braccioにスクロールが多く見られた事、そして何より、バイオリンがクレモナへと伝わった時、クレモナのバイオリン製作の開祖であるアマティ家がスクロールを作り続け、それが後のメインストリームとなっていった事が大きいのではないだろうか。
この辺りについては、また別の機会に詳しく見て行こうと思う。
                   

Rebec (Ribeca)
Lira da Braccio
Viola da Braccio con i tasti

 では、この楽器にも取り入れられた「渦巻装飾」が一体どこから来たのかを見ていきたいと思う。
渦巻装飾はプリミティブなものでは、文化的な交流がなく独立的に発展したものが世界各地で見られる。日本の縄文土器にも見られ、世界各地のその殆どが、太陽や海の渦潮、生命や永遠をモチーフにしており、人類にとって根源的なデザインである事がよくわかる。
その中で、西洋において有名なものには、クレタ島(現ギリシャ)のミノア文明のカマレス土器があり、紀元前3500年にまで遡る。


                         
 その中で様式化されて世界中へと広がっていったものに、「ケルト系統」と「エジプト・メソポタミア・ギリシャ系統」がある。その内、バイオリンの渦巻装飾へ直接繋がっているのは、エジプト・メソポタミア・ギリシャ系統である。
古代エジプトで生まれたとされる代表的な装飾の一つに「パルメット紋様」がある。紀元前3000年前には人工栽培が始まっていたヤシ(Palmo)の一種、棕櫚(シュロ)の葉をシンボルとするモチーフで、古代エジプトでは、繰り返し葉を生やし続けるヤシは生命の樹とされており、神殿の柱や祭壇など様々な箇所に施されていた。
(この習慣が後に古代イスラエルに伝わり、キリストが受難を前にエルサレムに入城した時に市民がヤシの葉を道に轢いて迎えた事から、復活祭の前の日曜日をパームサンデーPalmSunday(Domenica del Palmo)という)
それほど神聖視されたヤシのモチーフは、メソポタミア文明のバビロニアやアッシリアへと受け継がれながら変形を繰り返し、葉の部分が徐々にデフォルメされ渦を巻くかのようにカーブが強調されるようになっていく。


古代エジプト パルメット的柱頭
紀元前3200年 古代エジプト パルメットモチーフの石板
紀元前575年 新バビロニア イシュタット門
紀元前6世紀末
メソポタミア タイル
古代オリエント

 このメソポタミアのパルメット紋様が地中海世界方面へと広がる中で、紀元前10世紀頃から地中海の覇権を握っていたフェニキア人にも取り入れられ、フェニキア様式にも取り込まれていく。
フェニキア様式を代表する装飾にエジプト由来の二匹のグリフォンのモチーフがあるが、その中心にはパルメット紋様が刻まれている。
そのパルメット紋様の細部をみると判るが、渦巻装飾がより強調、デフォルメが進み、渦巻を描くようになる。
そして、この渦巻装飾が独立し、柱の頭の装飾である柱頭装飾に用いられ「プロト・アイオリス様式柱頭」が生れる。


紀元前8世紀 古代アッシリア北部 フェニキア様式 
紀元前8世紀 古代レバノン(フェニキア人の故郷)
 象牙
紀元前8世紀 古代アッシリア 象牙
紀元前8世紀 古代ユダヤ プロト・アイオリス柱頭


 この写真のプロト・アイオリス柱頭は、昨年に公開された古代ユダ帝国(現イスラエル)で紀元前8世紀頃に作られたとみられる、王族の宮殿の柱で、フェニキア人によって作られた柱頭にはパルメット紋様の葉のモチーフが残っている。
恐らくこれが現存する最古級のプロト・アイオリス柱頭であり、このプロト・アイオリス柱頭こそが、バイオリンへと繋がっていく、ごく初期に渦巻装飾が独立して「3次元の立体」で彫られた装飾であると思われる。
このプロト・アイオリス柱頭こそバイオリンのスクロールの直接の起源である。
 
 フェニキア人によるフェニキア様式にも拘らず、プロト・アイオリス柱頭と呼ばれるのは、それ以前に発掘されていたアイオリス柱頭の起源だからである。アイオリス柱頭は、古代ギリシャの小アジア西岸北部・アイオリス地方(現トルコ西岸)に紀元前10世紀ごろから古代ギリシャ人が入植したアイオリス人によって作られた柱頭で、フェニキア人の様式を取り入れ発展し、プロト・アイオリス様式とほぼ同じであるが、さらに渦を巻くようになり、造形がより立体的に彫り込まれている。
                   

アイオリス柱頭
中間にはパルメットが見える
アイオリス柱頭
根元で繋がっていてフェニキア様式パルメットの名残が見える

古代ギリシャの地図

 紀元前5世紀頃、このアイオリス柱頭が古代ギリシャの小アジア西岸南部・イオニア地方に伝わり、イオニア式柱頭へと発展する。
それまで、パルメット紋様で繋がっていた二つの渦巻がハッキリと二つに分かれ、渦巻はよりデフォルメ・強調されるようになっていき、中間のパルメット紋様はより小さく、またはなくなっていった。
イオニア式のモチーフは柱頭装飾以外にも広く用いられ、グリフォンの台座などにもみられるようになる。
先述した、メソポタミアのグリフォンにパルメット紋様のモチーフの影響を見て取れる。
このイオニア式柱頭は後述するが、ヨーロッパ中で用いられているモチーフで、見た事がある方も多いのではないだろうか。

イオニア式柱頭
アテネ エレクテイオン神殿のイオニア式柱頭
家具やストラディバリの装飾でも用いられた渦巻の最後に花のモチーフは既に初期イオニア式に見られる

              
 イオニア式柱頭が生れた同じ時代、柱頭の装飾以外でも渦巻き模様は発展していった。
パルメット紋様が広がるにつれて。徐々にアカンサス(アカントス)紋様と呼ばれる、ハアザミの葉とツタのモチーフが混ざりだし、そのツタの部分がくるくると渦を描くようになり、渦巻装飾がより複雑になっていく。このギリシャ人の発展のさせ方には、原形の堅い幾何学的図形をはぎ取るのではなく、なよやかな生き生きしさを原形に与えたいとの思いが見て取れ、いかにもギリシャ文化を感じさせる。これがアレクサンドル大王の東方遠征を機にヘレニズム文化として東方に広がっていき、ガンダーラ美術にまで到達した。別のエジプト由来の蓮のロータス紋様とも融合しながら、インダス、中国と伝わり、仏教伝来と共に7世紀頃には工芸品などに施されて日本へと伝わり、その後、日本人にも見慣れた唐草紋様へと発展していくのである。
日本人にとって一番見慣れているのは通称「ドロボウ風呂敷」とも言われるアレだが、様々なモチーフで着物の柄や皿の絵付けなどに取り入れられている。そして、建築においては屋根の頂点、破風の装飾である「懸魚」である。名前だけではピンとこない方も多いと思うが、写真を見て頂ければ見慣れたものと分かって頂けるだろう。懸魚はパルメット彫刻その物といえる造形である。
                    

紀元前408年 アテネ

ギリシャ古典期以降のパルメットのバリエーション
着物の唐草模様
姫路城の懸魚


                
 話が一脱したが、これら複雑化した渦巻装飾がギリシャのヘレニズム文化、アルカイック期から古典期の代表的な装飾になっていく事になる。立体的な渦巻装飾では、先ほどのイオニア式柱頭から1世紀後の紀元前5世紀にアテネにて、コリント式柱頭が生れる。コリント式という名前はアテネより東部の街コリントスで生まれたと言われた事に由来するが、実施にはアテネで生まれたとされる。
因みに、このコリント式の誕生には伝承が残っており、

"コリントスの彫刻家コリマコスがお墓を通りかかると、幼くして亡くなった少女のお墓にお供え物としておかれていた籠にアカンシアの葉とツタが包むように絡まっていたのが余りにも美しく、この彫刻家はコリント式の装飾を生み出した"

というものである。確かに籠をアカンシアのツタが下から這うように配され、葉の間から、特徴的な渦巻きが4つから8つ飛び出している造形である。イオニア式柱頭からコリント式柱頭が生れたのか、既に生まれていたパルメット紋様の間に這うアカンシアのモチーフから、独立的に生まれたのかは未だ定かではない。
この渦巻装飾の柱頭、イオニア式とコリント式に、簡素なドーリア式を加えた3つが、ギリシャの古典建築のオーダーとしてローマ帝国へと入っていく。ローマ帝国では、イオニア式とコリント式を合体させたコンポジット式も生み出され、渦巻彫刻が更に強調されていく。これにトスカーナ式もくわえた5つが、古典主義建築の基礎として定着していく。

コリント式
コンポジット式
ローマ式オーダー

            
 紀元前1世紀頃、イタリアにアカンシアの渦巻装飾が入ってくると、より躍動的で複雑になっていく。特に細く優雅なツタの表現はイタリアの特徴で、教会のファザードやモザイクの装飾などでインハビティッドスクロールと呼ばれる、鳥獣やライオン、天使や人などの周りに細く優雅なツタの渦巻装飾が施されるようにもなっていく。この流れから、楽器の装飾にライオンの頭や天使、そしてスクロールが採用される文化的下地が形成されたと思われる。

少し話がそれるが、下のタイル画の写真を見て、見覚えがある方もいるかもしれない。ストラディバリの装飾楽器に施されているモチーフはまさにこの、インハビティッドスクロールである。ルネサンス時代以降、洞窟(グロッタ)の中からこういった古代ローマ帝国のモチーフが発掘され、グロテスク様式としてもてはやされた影響が見て取れる。上に掲載している写真の注釈にも書いたが、ストラディバリの装飾楽器のスクロールの最後に花柄があしらわれているものが有るが、イオニア式前期にはまさにスクロールに花があしらわれたものが有り、イタリア式のアカンシア模様へと受け継がれたモチーフである。ストラディバリの美術への造詣の深さを思い知らされる。

紀元前9年 ローマ アラ・パキス
インハビタントスクロール
モデナ 大聖堂ファザード
紀元前1世紀 ローマ帝国占領下のギリシャ
食堂のタイル

 

展示会カタログより

 ルネサンス時代に入ると、暗黒時代と呼ばれた中世の、ゲルマン民族との軋轢や宗教による抑圧的な文化からの解放を求める機運の中、オスマン帝国の進行などもありギリシャの学者などがイタリアへと入植し始め、人間中心主義の自由な表現であったギリシャ・ローマ帝国文化の復興が進められていく。その中で、改めて渦巻装飾の柱頭をはじめとするオーダーが復活していく事になる。            
この激動の時代、市民のうねりや情念を体現するかのように、アカンサスの渦巻装飾は更に複雑さを極めていき、そのツタが張り巡らされるがごとく、建築から紙に至るまで、富裕層の馬車から庶民のテーブルや教会のベンチの脚にまで、あらゆるところにこのモチーフは広がっていった。その中で、楽器職人と木工職人の棲み分けが曖昧であった背景もあり、バイオリンの祖先にあたるViola da Braccio、後期Lira da Braccioのペグボックスの先端に、渦巻装飾のスクロールが取り入れられていったのである。

Viola da Braccio
(Lira da Braccio)
サンタ・マリア・マッダレーナ教会 クレモナ

 バイオリンの上に鎮座するスクロール、それは古代エジプト・メソポタミア文明から繋がる、壮大な古代オリエント・地中海世界のシンボルであり、古代エジプト信仰からギリシャ神話、果ては仏教までをも内包する、人類の文化のDNAに刻まれた螺旋なのである。
世界中の様々な文化へと広がり続ける楽器バイオリンになんとも相応しい装飾である。

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西村翔太郎

1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。吹奏楽でトランペットを演奏していたことから楽器製作を志す。偶然テレビで見たオイストラフのドキュメンタリー番組に影響を受け、ヴァイオリンに興味を持つ。国内外の製作家を取材するなど製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。ダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。
2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。
2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。
CultralViolinMakingCremona会員
関西弦楽器製作者協会会員

主な楽器使用者

アレクサンダー・スプテル氏
(ソリスト・元SSOコンサートマスター)
森下幸次 氏 
(ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)
木村正貴 氏 
(東京交響楽団フォアシュピーラー)
立木茂 氏  
(ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長



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