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 ストラディバリは数々の名器を残しましたが、その中でもクレモナの街の名前を冠する特別な楽器が有ります。それはストラディバリ1715年Cremonese(クレモネーゼ)です。この楽器は、クレモナのバイオリン博物館で特に大切に保管され、宝物の間の一番奥に鎮座しております。この度、幸運な事に博物館のキュレーターの協力の元、実物を直接計測し、比べながらコピーする機会を得ました。そして、その楽器は日本を代表するバイオリニストである豊嶋泰嗣氏の元へと渡りました。豊嶋氏は早速コンサートで使用して頂いており、5月に来日した世界的なピアニストであるマルタ・アルゲリッチ氏とのコンサートでは、コンサート終了後にアルゲリッチ氏が豊嶋氏へ、何の楽器を使っているのかと尋ねて来たそうで、新作の楽器だと知って大変驚いたとのご報告を頂きました。数々の名バイオリニスト&名器との共演を重ねてきたアルゲリッチ氏の、新作楽器へのイメージを覆せた様で、音響研究を続け、音にひたすらこだわり製作を続けてきた事が、報われた思いでした。 新作と聞いて驚くアルゲリッチ氏  また、7月に行われた音楽家・久石譲氏のコンサートでも、久石譲氏が絶大な信頼を置いている豊嶋氏の演奏の元、子供の頃から聴いていたジブリの音楽を自分の楽器で聴くことが出来、とても感慨深いものが有りました。「バイオリン製作家になりたい」と言い出した中学生時代から、兎に角「"耳をすませば"だね」と言われ続けてきました。まさかそのジブリの音楽を、久石譲さん御本人のコンサートにて、自分の楽器で聴く日が来るとは思いもしませんでした。豊嶋氏によるソロパートで音がホールに響き渡った時には、少し目頭が熱くなりました。 https://youtu.be/eMZQN-eGtp4 久石譲氏の公式チャンネルより 三浦一馬氏のInstagramより豊嶋氏の手に私が製作したクレモネーゼが https://twitter.com/joehisaishi2019/status/1550808692186292224?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1550808692186292224%7Ctwgr%5E4f940e296ca2efbb76a826d8b46bfcb2cdffe3bc%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fshotaro-violin.info%2Fwp-admin%2Fpost.php%3Fpost%3D5598action%3Dedit  常に「プロの即戦力になる楽器」を目指して、音響研究を重ねてまいりました。日本を代表するバイオリニストである豊嶋氏が、お渡しした直後から重要なコンサートで使い続けて頂いてる事は、一つの到達点であると感じております。これを糧に、更なる高みを目指していこうと決意を強くした次第です。 この楽器の写真はギャラリーページに掲載しております。

  5月1日大阪にて、関西弦楽器製作家協会の展示会が行われました。展示会の企画展示のコーナーでは、ストラディバリ1715年「クレモネーゼ」をモデルにしたバイオリンが一堂に会しました。そして昨年同様、そこで配布された解説パンフレットの執筆をさせて頂きました。誌面の関係のためカットした部分を含め、完全版としてこちらに掲載いたします。まだ論文にもなっていない、バイオリン博物館での最新の解析結果も含んでおりますので、こちらが日本語では一番包括的な解説になっているかと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Il Cremonese  その男は待ちわびていた。1715 年クレモナ、ポーランド王室の楽団を率いてクレモナでのコンサートを大成功に導いたバイオリニスト、ジャン・バティスト・ヴォリュミエ(1667-1728)は、新たな任務を担いクレモナに数ヵ月滞在する事になっていた。それは、ポーランド王室が注文したストラディバリのバイオリン12 台の完成を見届け、王室へ無事に持ち帰る事であった。  当時のクレモナは、スペイン継承戦争が終わりを迎えたのも束の間、疫病が発生し、街中に病院が急造される程に荒廃しており、ようやく持ち直し始めていた経済もまた、傾いてしまっていた。この影響は少なからずバイオリン製作家達にも及んでおり、1715 年、クレモナのバイオリン製作の元祖であるアマティ家の4 代目ジロラモⅡ・アマティは、借金の返済に事欠き夜逃げをしている。また、ガルネリ家2 代目ジュゼッペ・ガルネリが、後に息子であるガルネリ・デルジェスを生涯苦しめていく事になる多額の借金をしている。ルジェーリ家三男ヴィンチェンツォ・ルジェーリはこの年を振り返り、苦難の日々であったと手紙に残している程であった。 そんな中、既に71 歳を迎えていたストラディバリだけが、ヨーロッパ中の顧客から絶え間なく舞い込む注文に忙しくしていた。1900年代初頭のヒル商会の資料によると、確認した楽器の本数だけでストラディバリは年間21 本は製作していた事になり、失われたであろう楽器も含めるとその数はさらに増え、ストラディバリはまさに黄金期を迎えていたのである。 それでも、ポーランド王室からの12 本のバイオリンの注文というのは、半年は掛かる大きな仕事であった。  現存する1715 年製のストラディバリのバイオリンは、どれも名器と讃えられる楽器ばかりであるが、その中でも最も有名なバイオリンが、クレモナの名前のを冠する”Il Cremonese クレモネーゼ”である。そして、その圧倒的な存在感の裏板や作りの丁寧さから、ポーランド王室のために製作された12 台の内の1 台ではないかと考えられているのである。ようやく完成した12 台のストラディバリのバイオリンをポーランド王室へと持ち帰ったヴォリュミエは、大作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハと親交が深く、1717 年にはバッハをワイマールのオルガン奏者に招いている。このストラディバリの12 台のバイオリンをバッハも見ていた可能性もある。 伝説のバイオリン奏者ヨアヒム ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)  クレモネーゼが次に歴史上に登場するのは1800 年代後半のパリである。 Gand&Bernardel 商会が扱った122 本のストラディバリの中にあり、数人のバイオリニストやコレクターの手に渡った後、1889 年ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の手に渡る。 ヨーゼフ・ヨハヒムは1800 年代を代表するバイオリニスト・作曲家であり、ブラームスのバイオリン協奏曲は彼の為に書かれたものである。それほどのバイオリンの名手が生涯にわたって愛用したのがこのクレモネーゼなのである。 ヨハヒムは他に数台のストラディバリを所有していたが、彼が最初に手にしたストラディヴァリは1714 年製で現在は”Joahim-Ma”と言う名で知られる楽器で、クレモネーゼと同じモデルで作られている。また、もう1 台はクレモネーゼと同じ1715 年に作られ、裏板はクレモネーゼと同じ樹から作られ、モデルや細部の作りまで酷似している双子の様な楽器であり、現在は”Joahim‐Aranyi”の名で日本財団が所有している。ヨハヒムはこの時代のストラディヴァリの音や弾き心地を追求し、58 歳にして遂にクレモネーゼに出会い、そしてこの楽器だけは、死を前にし、甥でありバイオリニストであったハロルド・ヨハヒムへと、託しているのである。 クレモネーゼの造形 赤:PGモデル 緑:Gモデル  クレモネーゼはなんといってもその力強く荘厳な佇まいで人々を惹きつけているが、そのボディーラインはG 型と呼ばれるモデルから製作されている。現在、ストラディヴァリが実際に使用していた型が12 台残されているが、その中で最も大きく、Grande(大きな)を意味するG と書かれている型で1708 年と刻まれており、これはストラディバリが設計した最後の型であり集大成ともいえる型である。近年の博物館による3D データによるクレモネーゼの横板との検証においても、左右非対称な箇所までこのG 型と良く一致する。基本的なラインは、他のモデルや、アマティ家が使用していたグランドパターンと呼ばれるデザインと似ているが、下部が長く膨らんでおり、それが大きく重厚感のある印象を作り出してる。 また、博物館にはG 型用のF 字孔の位置を示すデザインが残されているが、クレモネーゼは他に比べて左右のF 字孔の距離が離れて配置されており、残されているデザインとは一致しない。F 字孔の形は同じ年代の楽器に比べて太く力強く、直線的である。  また、パフリングも同じ年代の楽器に比べて0.1mm太く、0・3 ㎜ほど内側に入れられている。コーナー部でパフリグが合わさる箇所では、ナイフで入れた隙間を黒い樹脂で埋められており、個性的な流線型を描いている。この技法はアドレア・アマティが既に用いていたが、クレモネーゼはより大胆である。 表板の木は年輪年代学の解析によると、1690 年代に伐採された樹で作られている。裏板はクレモネーゼを何より特別なものにしていて、一枚板で杢がとても深く太く入っており、イタリア語で杢を「Marezzatura 海の様な」と表現するが、まさに 押し寄せる波を俯瞰したかのような迫力である。この時期のストラディバリは重厚感のある意匠が特徴であるが、この型やパフリングなどの造詣、裏板の杢などがクレモネーゼにより一層、力強く荘厳な印象を与えているのである。  ニスは各所にオリジナルのニスが残っており、バイオリン博物館で行われたIR・XRF 解析では、表面全体からは安息香をベースとしたアルコールニスの保護膜が検出され、その下層からは樹脂化したオイル成分とオイルニスの乾燥促進剤である鉛の成分が多く検出される。その他、顔料に含まれる鉄分、木質に近い層では目止めに使われる石灰や珪藻土に含まれるカルシウム、カリウム、硫酸塩、鉱物由来のケイ酸塩が検出されている。また、表板の木質のすぐ上の層からはカゼインが、裏板と楽器内部からは膠が検出されている。この解析結果はバイオリン博物館で解析された他の20 台以上のストラディバリと一致する。クレモネーゼの音 何度もクレモネーゼを使ってコンサートを行ってきたバイオリニスト、サルバトーレ・アッカルドは「その反応の良さに驚くと共に、ストラディヴァリらしい高音域の魅力が有る」と評している。また、クレモネーゼが初めてクレモナに持ち込まれ、購入を決める際に行われた審査では、その音を「力強く広がりのある音」「輝きが有りふくよか」「4 弦ともバランスが良い」と記録されている。それを裏付けるように、バイオリン博物館で行われた三次元方向での音の指向性の計測では、全ての弦において、全方向に満遍なく、かつ高いデシベルで音が広がっている事が確認された。また、数十人のバイオリン製作家と音楽家による音評価を元に開発されたアルゴリズムを用いた解析において、明るい音色を示す周波数帯が他の楽器よりも吐出しており、指向性においても明るい音色を示す周波数帯が前方向に強く発せられている。また、本体の重さは369g と驚くほど軽く、反応の良さが伺える。この事は、冒頭のサルバトーレ・アッカルドの証言を裏付けている。 前述したように、楽器の内部からも膠が検出されたが、その分子構造の経年劣化が楽器表面から検出されたものとほぼ同じ程度であり、少なくとも百年単位で楽器の厚みを変えられていない事が推測される。この事から、この楽器を愛用していたヨアヒムは今と変わらない音でブラームスの協奏曲を演奏し、もしかすると、この楽器を最初に受けとったヴォリュミエもこの音色を楽しみ、また、それにバッハも聴き入っていたのかもしれない。 クレモネーゼの名を冠する クレモナ・バイオリン博物館の宝物の間  1962年2月5日、クレモナ市民は待ちわびていた。 それまでクレモナの観光の目玉として、様々な国際イベントを開催してきたストラディヴァリ博物館であったが、道具や資料が展示されているのみで、肝心のストラディヴァリの楽器が1台もないままであった。1959年「クレモナにもストラディヴァリを!」との機運が高まり、文化庁から資金が下りる運びとなった。しかし、バイオリンの聖地であるクレモナに相応しいストラディヴァリを見つけるのは、予想以上に困難を極めたのである。 当初、アメリカで修復家として活躍していたシモーネ・サッコーニが選任されたが、めぼしい成果が無く、次にミラノ派の製作家でクレモナ・バイオリン製作学校の教鞭もとり、現代クレモナ派の復興に尽力したフェルディナンド・ガリンベルティが選任された。ガリンベルティはヨーロッパやアメリカ各地から売りに出ているストラディヴァリの情報をかき集め、最終的に2年間で11本のストラディヴァリが候補に挙がったが、どれも彼を満足させるものではなかった。 クレモナにストラディバリがやってくるかもと報じる当時の新聞  1961 年ニューヨークの著名な楽器商Herrmann が、名器と名高い1710 年Wilmotte の販売を持ち掛けた。名器と言われる楽器ならばと、遥かに予算を超えていたものの、文化庁を説得し購入の話を進め、地元紙にも大きく取り上げられた。しかし、いざガリンベルティが楽器を受け取りにニューヨークを訪れ、その楽器を見た直後に、クレモナ市へ電報で「STOP」と、振り込みを直ちに中止するように伝えている。名器と名高い1710 年Wilmotte ですら、クレモナに相応しいとは言えなかったのである。 諦めかけていた1961 年12 月12 日、ヒル商会から電報で「2 台の素晴らしいストラディヴァリある」との連絡が入った。12 月末までにクレモナに来れないかとの返事に、ヒルは3 日後の12 月15日にはクレモナに2 台の楽器を携えて訪れていた。即座に楽器の評価と試奏会が開かれ、同日、正式にこの1715 年製をクレモナ市が購入する事を決定した。3 日間の関税と支払い手続きを経た同年12 月18 日、クレモナ市が正式にこの楽器の所有者となった。それは奇しくも、224 年目のストラディヴァリの命日であった。 バイオリンの聖地クレモナにストラディヴァリをと動き出してから3 年、1962 年2 月5 日正式にバイオリンが引き渡された。ポンキエッリ劇場でセレモニーと演奏会が開かれ、待ちわびていたクレモナ市民からの歓喜と共に迎えられた。そして、この1715 年製のストラディヴァリは”Il Cremonese クレモネーゼ”という、バイオリンの聖地であるクレモナの名を冠する事となった。 その後、60 年たった今でもクレモネーゼは世界中の人を魅了し、バイオリン製作家の指針であり続けている。そして、バイオリン博物館の宝物の間の一番奥に鎮座し、バイオリンの聖地クレモナを代表するバイオリンとして、その存在感を放ち続けている。 バイオリン製作家 西村翔太郎ーーーーーーーーーーーーーーーー  この度、この展示会に合わせて製作したクレモネーゼのコピーのその後については、こちらに書いております。併せて読んで頂けると幸いです。西村翔太郎 Profileはこちら

こちらで研究プロジェクトに携わっている関係で様々なご質問を頂きます。「バイオリンのE線にはループエンドとボールエンドが有りますが、音が変わるのでしょうか」といったご質問を頂きました。ループエンドとボールエンドは取り付ける金具「アジャスタ」が変わってきます。この事により二つの事が変わります。 ・駒からアジャスタまでの弦の長さ ・アジャスタによるテールピース全体の重さ(質量)  一つ目の「駒から金具までの弦の距離」と音の関係については、残念ながら近年の研究論文でも目にした事が無く、そもそも余りにも考慮する事柄が多すぎる為、研究デザインの段階から困難だと思われます。この長さの違いについては、E線で知られる弦メーカー「WARCHAL」では、ループエンドにすると距離が長くなる事により、音が柔らかくなると説明されています。 一方で二つ目の「金具によるテールピース全体の重さ」の変化と音との関係については、幾つかの研究が行われております。チェロでは、テールピースの重さを変える事によりウルフ音を抑える効果が知られている為、研究のテーマになりやすいのだと思います。 バイオリンのE線用の金具には様々なタイプが有りますが、一番広く使われている合金タイプですと、ボールエンド用がループエンド用に比べて、約2g程重くなっています。2015年に行われた研究では、テールピースに2.5gの錘を取り付ける事で、楽器のボディの周波数特性がどのように変わったのかを確かめた実験が有ります(画像参照)  この実験では主に100hz以下のテールピースの周波数帯で大きな違いがみられますが、音に直接影響を及ぼす楽器のボディの周波数帯にも若干の違いが見て取れます。これがどれ程変化を及ぼすのか、それは楽器や演奏者によるとしか言えない程度です。2019年に行われた、魂柱の高さによるボディ応答の変化を演奏者はどの程度感じ取れるのかという実験では、プロのバイオリニストは楽器のボディ応答の周波数特性の2hzの違いにも敏感に反応するという結果も出ていますので、そういう方だと気づく程度の変化です。また、楽器によっては音に影響しない場合も多々ありますし、他のパーツの調整の方がより違いが出るとお考え下さい。音が良くなるアジャスタと謳う商品も見受けられますが、単純に「音が良くなる」事はありえません。全ては楽器と演奏者の好みで決まります。理想の音を探す旅には終わりが有りませんね。 ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫西村翔太郎 1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。国内外の製作家を訪問し製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。ダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。現在は作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの生家に工房を構えている。 2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。Projecto A.N.I.M.A研究員District of Cultral Violin Making Cremona会員関西弦楽器製作者協会会員 主な楽器使用者 アレクサンダー・スプテル氏(ソリスト・元SSOコンサートマスター)森下幸次 氏 (ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)木村正貴 氏 (東京交響楽団フォアシュピーラー)立木茂 氏  (ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長 ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫

 クレモナで音響研究に携わっている関係で、様々なご質問を受けるのですが、最近「弦の巻き方を変えると音が変わるのですか?」というご質問を多く受けます。どうやら、日本では「ペグで弦を結んで短く切り、巻く回数を減らすとテンションが変わり音が変わる」といった言説が有るようです。結論から言いますと、変わりません!バイオリンの構造上、弦は駒から枕木までの両端固定の振動です。その場合、弦の周波数とテンションの関係は次の式で表されます。 周波数をf、弦長をL、テンションをT、線密度をσとする時 この式から、同じチューニングで弦長も決まっていると、テンションは線密度「弦の種類」以外では変わらない、という事です。ですので、弦を固定している枕木の「外」であるペグでの弦の巻き方や長さを変えても、影響は無いのです。 また現代の振動シュミレーションでは、ネック部分の微細な振動の変化は音にほとんど影響を及ぼしていない事が観測されます。一方で、弦の種類を変えると、弦はそれぞれに線密度が違いますので、テンションが大きく変わります。もし、弦のテンションや音を変えたいと思われた方は、弦の種類を変えてみる事をお勧めいたします。  一方で、ギター業界ではこのような結んで短くして巻く方法を通称「マーティン巻き」と呼んでいます。これはギターブランドのマーティンが、出荷時にこの巻き方で出荷している事からそう呼ばれています。  ギター業界ではこの巻き方の利点を「チューニングがしやすい」「チューニングの安定が良い」と言われています。これについては一考の価値があると思います。普通に穴を通して巻く場合、弦のそれぞれの巻きに摩擦力が分散されて止まっている状態ですね。ですので、穴から弦が抜けていてもしっかり止まっている事が良くあります。 巻き回数が減ると一巻きに掛かる摩擦係数が増す分、チューニング中に回した時にすぐに分散され安定して止まる事が考えられます。しかし、違いはあくまで極々微細だとは思いますので、気持ちの問題と捉える方が良いと思っています。弦楽器はとてもシンプルな構造にも関わらず、複雑な変化が起きる為、様々な言説が有ります。気になる事が有りましたら、どうぞお気軽に製作家に聞いて見て下さい。

  関西弦楽器製作家協会の展示会が昨年に続き今年も展示会が中止となってしまいました。今年は特別展としてガルネリ・デル・ジェスのカノーネモデルの楽器展が予定されておりました。そして、そこで設置する事になっていた解説パネルを私が執筆させて頂いておりました。お蔵入りとなっておりましたが、折角ですので、ここで公開させて頂きます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  「パガニーニは繰り返さない」これはイタリアではよく聞くフレーズです。同じ事を繰り返すのが面倒な時によく使われる言い回しで、サルデーニャ国王カルロ・フェリーチェ王に頼まれてもアンコールをしなかったというパガニーニの逸話から来ています。 そんな、音楽史の中でも異彩を放つ天才バイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840) 彼の生涯は余りにも沢山の伝説や逸話に纏われ、生涯を正確に把握する事がとても難しいバイオリニストです。特に、青年期の19歳から22歳にかけては、突然全てのキャリアを捨て、聴衆の前から消えた「謎の時代」と呼ばれており、その足跡は正確には分かっていません。  数少ない資料の中で、友人に宛てた直筆の手紙に「この頃は農家仕事に従事して、ギターを弾いていた」また、「令嬢の家に転がり込んでいた」と書き残しており、既にイタリア国内では天才として絶大な名声を手に入れていた彼が、音楽の世界から離れようとしていたのは間違いないようです。 しかし、この時期に彼は、その音楽性をさらに開花させるバイオリンとの出会いをしていたのです。このバイオリンとの出会いについて彼は何度も違う証言をしていますが、当初、「コンサートのために訪れていたリボルノで、賭博に負けバイオリンを手放す事になったが、フランス人商人が現れバイオリンを贈られた」と語っていました。しかし晩年、友人へ送った手紙には、「1804年22歳の時にミラノのピーノ将軍からバイオリンを贈られた」と記しており、こちらは他の資料とも一致します。   繰り返さないはずのパガニーニが、何度も脚色してまで語るほど重要な出会いとなったバイオリン、それがガルネリ・デル・ジェスの1743年製のバイオリン、後にその力強い音質から「カノーネ(大砲)」と呼ぶ事になるバイオリンでした。 パガニーニはこの楽器に導かれる様に、彼の代名詞とも言える名曲「24のカプリース」の作曲に取り掛かって行きます。その後パガニーニは、大スターへと上り詰めていき、その名声に惹きつけられるかのように、数々の名器が彼の元へ集まってきました。しかし、彼は最後まで「カノーネ」を弾き続けたのです。 この若きパガニーニを魅了し、その音楽性を開花させたガルネリ・デル・ジェスの名器「カノーネ」とは一体どういう楽器なのでしょうか。  ガルネリ・デル・ジェス(Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1698ー1744)のバイオリンは、それまでのバイオリン製作の歴史を覆すほど独創的で、その造形から生み出される音もまた、他に代えがたい魅力を放っています。 それを決定づけているのは、何といってもその独特なボディとF字孔です。 Guarneri del Gesu"Cannone" VS Stradivari "Cremonese"  ストラディバリと比べるてみると、上下のボリュームはどちらも似ているのに対し、ガルネリ・デル・ジェスのC部が大きく開いているのが分かります。実際に計測すると、ストラディバリよりも平均して3mmもC 部が開いています。 この独特のアウトラインは、ベースはジロラモ・アマティが完成させた「グランドパターン」からの影響が指摘されており、特に1740年以降の最晩年はその一致率がより高くなっていく一方で、C部の開きはより増していく事になります。 そして、ガルネリ・デル・ジェスのF字孔は、後期になるほど大胆に長くなっていき、1740年以降はその傾向がより顕著に現れます。その中でも最晩年のカノーネなどは、ストラディバリのF字孔よりも5mmも長くなっており圧倒的な長さを誇っています。 Guarneri del Gesu"Cannone" VS Stradivari "Cremonese"  現代の音響解析の技術では、楽器のボディがどの周波数を増幅するかを見ることが出来るのですが、ガルネリ・デル・ジェスは、堅牢さとF字孔が影響する周波数(A0 mode)がとても高く、強く検出されます。この周波数は楽器の音全体に影響を及ぼし、特に低音においては如実に表れ、強く出るほど低音の音量に影響すると考えられています。この事が「迫力のある低音」と形容されるガルネリ・デル・ジェス独特の音を作っているのではないかと考えられています。そして高音域においても、表板F字孔周辺と裏板の中心部が大きく隆起して起こる周波数(C4 mode)が強く出ています。これもストラディバリでは殆ど見られない周波数で、これが「カノーネ」では「豊かな高音」と形容された音を作っているとも考えられているのです。 Modal Analyze of Guarneri model by SHOTARO NISHIMURA  更に、マサチューセッツ工科大学の実験では、F字孔のアウトラインに沿ってエネルギーを放出する事が分かっており、ガルネリ・デル・ジェスのF字孔の圧倒的な長さは、クレモナのバイオリン製作の開祖であるアンドレア・アマティのF字孔よりも30%もエネルギーを多く発生させている事が分かっています。この事が、「カノーネ(大砲)」とパガニーニが呼んだほど遠くにまで届くエネルギーを発生させているのかもしれません。 この様に、ガルネリ・デル・ジェスは意匠として伝統を覆しただけでなく、その音響効果もそれまでにないものを生み出していた事が、最新の研究で分かってきているのです。 Acousticians and fluid dynamicists at MIT,  この楽器史の中でも狂気と言えるほどの異彩を放つガルネリ・デル・ジェス、その中でも突出した楽器「カノーネ」。そして、音楽史を変えるほどの才能をまだ持て余していた若きパガニーニ。この二つが出会った時、音楽の歴史の歯車がまた動き出したのでした。 1837年、死期を悟ったパガニーニが、愛器「カノーネ」を故郷のジェノバ市に、永遠に保管する事を条件に寄贈する事を申し出でます。以降、現在でもジェノバ市のトゥルジ宮「パガニーニの間」にて大切に保管されています。そして、その向かいには、とてもよく似た楽器が展示されています。 1833年パリ、パガニーニがバイオリン製作家ジャン=バティスタ・ヴィヨーム(1798-1875)の下に、「カノーネ」の修理を依頼します。ビヨームは早速この「カノーネ」をコピーし、パガニーニに贈呈しました。このコピー楽器もパガニーニが終生大切にしました。亡くなる数か月前に、弟子のカミッロ・シヴォリに売り、その代金であった500フランを御礼としてヴィヨームへと送っています。そんな素敵な関係を結んだビヨームの楽器、これが史上初めての「カノーネのコピー」です。 その後、数多くの有名製作家達がその後へと続き、「カノーネ」を参照しコピーをしてきました。長い楽器史の中でも、特定の楽器がここまで参照されるているのは、この「カノーネ」以外にありません。もはや一つの様式となっています。   天才パガニーニをパガニーニたらしめ、そして数々の名工を魅了し続けているガルネリ・デル・ジェスの「カノーネモデル」。残念ながら、展示会は開催中止となってしまいました。しかし、まだこの展示会の為に製作された特別な楽器をお持ちの製作家もいらっしゃるかと思います。是非、お近くの会員のお店にお尋ねください。 ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫  西村翔太郎 1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。国内外の製作家を訪問し製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。ダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。現在は作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの生家に工房を構えている。 2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。Projecto A.N.I.M.A研究員District of Cultral Violin Making Cremona会員関西弦楽器製作者協会会員 主な楽器使用者 アレクサンダー・スプテル氏(ソリスト・元SSOコンサートマスター)森下幸次 氏 (ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)木村正貴 氏 (東京交響楽団フォアシュピーラー)立木茂 氏  (ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長 ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ 

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Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

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Children & Students free

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