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チェロを製作中、常に後ろめたさが付きまとう。バイオリンでも感じるが、チェロは視覚的でより直接的に迫ってくる。樹の命を奪っているという感覚。チェロは楽器用材として製材された段階で、総量15~20kg程になる。それをひたすら削り込んでいき、最終的には4kgに満たない重量になる。その大半を削り取って、捨てていくことになる。最後の宮大工と呼ばれ、法隆寺・薬師寺の修繕・増築に携わった、棟梁・西岡常一。文句無し日本一の大工だ。法隆寺の宮大工の棟梁には1300年受け継がれてきた「口伝」があるそうだ。それは、組織運営から仕事への心構え、そして木の組み方まで多岐にわたる。しかし全ての事は、いかに樹と向き合い、組み上げた寺社を長く持たせるかに帰結する。ひたすら口伝を守り抜き、 死ぬ間際まで自身が建てたものを見に行っていたそうだ。 物を作る人間は、作るときに少なからず何かを壊している。奪っている。 そこに真摯に向き合うとき、迫ってくる後ろめたさが「責任」を突きつけてくる。それは一生付き纏う。責任はイタリア語でResposabilita 語源はラテン語でRespondibilitas本来は答える・応えるという意味だ。 樹が突きつけてくるものに、常に応えるように仕事をしていくこと。これが責任なのだと、樹が教えてくれる。

お腹がすいたけど冷蔵庫に何もない、こうなったら道具でもカラッと揚げて。。。いえいえ、そこまで生活は逼迫していません!日本で買ってきた小道具(彫刻鑿)の中で一本だけ、研ぎづらく硬いものがあったので、調整しているところです。日本の刃物の重要な工程に「焼戻し」があります。初めに800~1000℃に熱して焼入れをし、硬い鋼(マルテンサイト)を作るのですが、これでは硬すぎて脆く、刃こぼれをしてしまうので、もう一度100~600℃に熱して、ゆっくり空冷します。そうすると靭性に優れた鋼(ソルバイト、トルーサイト)になります。 これを「焼戻し」といいます。 この小道具は、私の用途にはどうしても硬すぎたので、一番簡単な方法、食用油で再度焼き戻しです。160~170℃で熱するのですが、本来は高温用温度計で油の温度を管理します。しかしここで、日頃料理ばかりしてきた経験が活きてきました!油の質感や発する温度で、ほぼ温度がわかるのです。 おかげで天ぷらを揚げる感じで、簡単に焼戻しができました。研ぎやすさも切れ味も、好み通りになってくれました。良い揚げ上がりです。 日頃行っていることが、どこで役に立つかわかりませんね。イタリア語の言い回しに、  ”Tutto fa  il brodo”  というものがあります。直訳すると ”全ての事は出汁になる” 「全ての行いは、何かの役に立つ」という意味です。 今回は天ぷらが”出汁”になってくれました。

 カステルアルクワートは丘を城壁で囲って造られた街です。1200年代にスコッティ家によって発展し、1400年代にヴィスコンティ家によって現在でも見られる、美しい中世の街並みが形成されます。 その後フランスの占領下に移り、ミラノを治めたスフォルツァ家によってピアチェンツァ領に戻ります。この小さな街が時の権力者に翻弄された証のように丘の頂上、大聖堂の横には、街の中心には似つかわしくない、厳めしい要塞が残っています。(写真左奥)  大聖堂は12世紀頃に建てられ、とても素朴なロマネスク様式です。もともとは修道院で、教会堂の横には小さな小さな修道院も残っています。教会堂の中に入ると、装飾や絵画はほとんど見当たらず、近年はただ純粋な祈りの場として機能してきたのだと感じます。  しかし、右奥に暗い部屋があり立て看板に、「創建初期の壁画」 とあり、お金を入れると照明がつく仕組みになっています。(イタリアの教会ではよくある、小銭稼ぎですね。)  興味を惹かれ小銭を入れてみると、そこに照らし出されたものは、それまでの素朴で静謐な空間からは想像できないほどの、色彩豊かな壁画でした。 まるで突然、宴がはじまったかのような鮮やかさ。  目を奪われたのは上部の楽器を弾いている天使です。左から2番目の天使が持っているのは、古楽器のリラ・ダ・ブラッチョと思われるものです。 一番右の天使が持っているのはレベックと呼ばれる、リラ・ダ・ブラッチョよりも更に古い楽器です。(形からすると、もっと古いアラブ起源でスペインで進化した楽器、レバブにも見えます) どちらもバイオリンの祖先と言われている楽器です。 こんな小さな田舎町でもこのような楽器がちゃんと使われていたのですね。中世キリスト教における音楽の重要性が見て取れると共に、 音楽文化は宗教とともにイタリア全土に浸透して行ったのがよく分かります。  そして祭壇の奥のクーポラの中にも楽器を見つけました。おそらく16世紀以降に描かれたと思われます。チェロとバイオリンが描かれています。カステルアルクワートの人々がとても音楽を大切にしていたのが見えてきます。争いに巻き込まれ続ける中、音楽が心の拠り所になっていたのかもしれません。   この大聖堂の裏庭に、前回記したチェーザレ・ストラディバリのお墓がありました。思わぬ近代史へと誘ってくれた、チェーザレ・ストラディバリ。その傍らにもう一つお墓がありました。   Luigi Illica 1857-1919 ルイージ・イリカ。イリカはプッチーニと組んで、名作「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」などを残した、オペラ台本作家です。イリカはカステルアルクワートに生まれました。作家として活躍したのはミラノで、没したのはカステルアルクワートの郊外のまちコロンバローネです。現在でも生家が残っており、いつまでこの家を所有していたのかは不明ですが、たまにミラノから帰郷しては、この家で執筆活動をしていたのかもしれません。1961年より国際イリカ賞が設立され、オペラ界・芸術界で活躍した人へ送られており、その中には、マリア・カラス  プラシド・ドミンゴ パバロッティ  デル・モナコ映画監督のルキーノ・ヴィスコンティとそうそうたる顔ぶれです。 (この街を治めたヴィスコンティ家の末裔が、この街の著名人に表彰されるというのも、長い歴史の面白味を感じます。) そしてなんと、イリカの生家は現在、日本人の方が所有しています。 全て改装し、とても素敵なデザインホテルとして使用されています。 http://www.casaillica.com/所有者の義理の妹さんでフランス人の方が案内してくださいました。エントランスの廊下には所有者の日本の家紋が入っていたり、「蝶々夫人」をイメージした着物がかかっていたり、日本からの芸術家のお客さんが多いそうで、日本の墨絵などもかかっていたりと、  西洋と和、過去と現在の融合した、とても個性的な空間でした。 そして、イリカの生家の隣にはイリカ記念館があり、館長をストラディバリ家7代目アントニア・ストラディバリが務めています。ここにもまた、長い歴史の巡り合わせがありました。 中世の佇まいを残す小さなこの街で、土地の記憶のレイヤーを一枚ずつ剥がしていくと、それぞれが色彩豊かな音楽の歴史で輝いており、それが土地のプリズムとなって、また新たな人を呼び寄せて、新しい色が加わる。これがイタリアの強みであると感じる旅でありました。

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Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
Fri ‒ Mon: 09am ‒ 05pm

Adults: $25
Children & Students free

673 12 Constitution Lane Massillon
781-562-9355, 781-727-6090