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Shotaro Nishimura

ヴィオローネのジョバンニ ~歴史に埋もれたチェロ職人?~

 昨年末、関西弦楽器製作者協会のコラムに書かせて頂い内容が大変好評だったため、更に写真を加えてこちらに転載致します。

イタリアに住んでいると、歴史の中に住んでいるという感覚が強くあります。
そのせいか、最近イタリアの歴史を掘り下げるのが趣味になりつつあります。
同じ場所で幾層にも積み重なったイタリアの歴史を掘り下げて行くと、見慣れた街並みが突然違って見えてくる瞬間があり、それがとても好きなのです。
特に、知られた歴史に名を残した偉人や歴史的な事件よりも、パスタの歴史や道の名前の由来など、少し変わった切り口から掘り下げる方が面白く、たまにブログにまとめたりもしています。
近年、クレモナでもバイオリン製作の歴史研究が盛んに行われていて、色々なことが解ってきています。アマティ家の国税調査から、武器所持者のリストから辿る製作家の年齢、果てはガルネリ家の借金事情まで・・・歴史に名を残すと恥も残るのだとよく分かった次第です。そんな偉人たちの影で、最近、私が気になって調べている事があります。

皆さんはアンドレア・アマティという名前を聞いたことが有るでしょうか。アマティ家の初代にして、クレモナのバイオリン製作の開祖とされているバイオリン製作家です。
現存する世界で一番古いバイオリン族の楽器も、アンドレア・アマティが製作したチェロです。
このチェロは1536年に注文を受け1538年までに製作された楽器とされており(サウスダコタ博物館調べ)、”THE KING”という名前がついており、フランスの王シャルル9世に38台の楽器を納めた内の一台です。

では当時、アンドレア・アマティだけがクレモナで楽器を作っていたのでしょうか。
国勢調査を辿ると、クレモナの最初の楽器製作者はStephannis detto “Nepos”です。
長く続いたフランスとの戦争が終結に向かいつつあった1507年に工房を開設しました。しかし彼は撥弦楽器(ルネッサンスギターやリュート)の製作家で、バイオリン族やガンバ族の製作家ではありませんでした。
その後、1526年の武器所持者リストにアンドレア・アマティの名前が、マルティネンゴという商人の下働きとして出てきます。これがアンドレア・アマティの最初の記録であり、クレモナで最初のバイオリン製作家の記録です。(何故、楽器職人が商人の下働きだったのかについては、ユダヤ人の歴史と関わってくるなど大変長くなるので、またの機会に。)

やはり当時、バイオリン族やガンバ族の製作家はアンドレア・アマティだけだったのでしょうか。実はそうでもないようなのです。
どうやら同時期に「Maestro Giovanni dalli violoni (ヴィオローネ職人のジョバンニ)」と呼ばれた職人が、クレモナにいたようなのです。

まず、1526年の武器所持者リストの中に、アンドレア・アマティの同僚としてGiovanni Antonioという名前が出てきます。
そしてその後、1547年、マントヴァという街の大司祭が書いた、教会の収支報告書の中に名前が出てきます。小麦から魚まで、教会で消費されていた物を何処から幾らで仕入れたかを事細かく書かれているのですが、その中に「ヴィオローネ職人のジョバンニ」から、教会に務める音楽家のためにヴィオローネの弦を仕入れ、他の教区の司祭にも10本の弦を分け、分割で支払があった旨が書かれているのです。

ケンブリッジ大学の資料より

そして、バイオリンの弦の購入も含めた2枚の領収書も一緒に残っていて、こちらにクレモナと記されています。
しかし、それ以外のことは何も解っていません。そして、残念ながら楽器も一台も残っていません。ヴィオローネは当時、「ヴィオローネ・ダ・ガンバ」と呼ばれる現代のコントラバスの祖先と、「ヴィオローネ・ダ・ブラッチョ」と呼ばれていたバロックチェロの、どちらに対しても用いられていた名前です。(しばしこれが混同され、ビオローネ・ダ・ガンバがチェロの祖先とする記述が散見される)
残念ながら、この呼び名からはジョバンニがどちらを製作していたのかは判別できません。

この当時のマントヴァは、後にイタリアの音楽文化発展の礎を築いた、領主グリエルモ・ゴンザーガが生まれる少し前、マントヴァ風ミサを書いた作曲家のパレストリーナも、ゴンザーガ家お抱え作曲家ジャッケス・デ・ヴェルトも、まだマントヴァには来ていません。恐らくは、ちょっとしたマドリガーレやモテット、小規模のミサ曲が演奏されていた程度であったと思われます。楽器はその声楽曲をなぞるだけの役割だったので、まさにヴィオローネがどちらの楽器か指定する必要がなかった形式の音楽です。

グリエルモ・ゴンザーガ

やはり、ジョバンニがどちらの楽器の製作家だったかを辿るのは難しいかもしれません。しかし、クレモナの楽器製作の黎明期に、もう一人の製作家として「ヴィオローネ職人のジョバンニ」は確実に存在はしていたようです。
この、歴史に埋もれた製作家。もう暫く色々と調べてみようと思っています。いったい何が出てくるか。いつかまた、ブログで綴れれば良いなと思います。

かつて歴史哲学者ヴァルター・ベンヤミンが、こう書き残しました。
「無名な人々を敬う事は、有名な人々のそれより難しい。歴史の構築は無名な人々の記憶に捧げられる」
歴史に名を残した人々の少し後ろを掘り下げると、そこには「無名な人々」の営みが見えてきます。私が気になって調べだす時、そういった「無名な人々」の気配を何処かで感じているからかもしれません。

西村翔太郎

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西村翔太郎
1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。吹奏楽でトランペットを演奏していたことから楽器製作を志す。偶然テレビで見たオイストラフのドキュメンタリー番組に影響を受け、ヴァイオリンに興味を持つ。国内外の製作家を取材するなど製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。クレモナトリエンナーレで最高位を獲得したダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。
2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。
2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。
CultralViolinMakingCremona会員
関西弦楽器製作者協会会員

主な楽器使用者
アレクサンダー・スプテル氏
(ソリスト・元SSOコンサートマスター)
森下幸次 氏 
(ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)
木村正貴 氏 
(東京交響楽団フォアシュピーラー)
立木茂 氏  
(ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長)

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