音のゆりかご ~ヴェネチアとストラディバリ~
昨年の関西弦楽器製作者協会のコラムに寄稿したものを転載致します。
こんにちは。イタリアのクレモナでバイオリン製作を行っている西村翔太郎です。今年でイタリアに住んで18年が経ち、丁度人生の半分をイタリアで過ごした事になりました。イタリアの風景も既に日常となり、もはや日本の風景のほうが感慨深く感じる様になりましたが、やはりバイオリン製作という伝統工芸に携わっていると、予期せず、ある事象が突然に歴史と一つ、また一つと繋がっていき、思いもよらぬ所へと導かれ、あらためてイタリアの奥深さに瞠目させられる時があります。 2012年にクレモナのバイオリン製作家が、ユネスコ世界遺産の無形文化遺産に選ばれました。それを機に、2018年よりガリンベルティ市長の号令の下、複数あるクレモナの製作家協会やグループを統括するDistretto Culturale della Liuteria(バイオリン製作家ディストリクト)が立ち上がりました。このディストリクトにはユネスコやカリパルマ銀行からの支援金が下りており、ワークショップや講演会、ストラディバリやガルネリの弾き比べ演奏会など、製作家に向けたイベントが一気に増えることになりました。その中の活動の一つとして、研究プロジェクトが有ります。計画案を提出して認可が下り、進行中のプロジェクトが現在3つあります。バイオリン博物館主導のバンク・オブ・サウンド、バイオリン製作学校主導のT.A.R.L.Oそして私が所属する A.N.I.M.A です。この A.N.I.M.Aは、パヴィア大学とミラノ工科大学と共同で、数ある伝統的な木材処理を、最新の分子生物学と音響学の二つの側面から解析していくプロジェクトです。木材処理は製作の様々な過程で行われているのですが、音質改善や見た目の改良、処理後の加工の容易さなど、目的も様々です。しかし、その効果と影響を科学/化学的に評価したものは殆どなく、感覚や経験則に頼るしかありませんでした。そこを明らかにしていくのがこのプロジェクトです。研究の初期段階から既に予想とは反する解析結果が複数出ていて、驚いている所です。
そんなグラフと数字を見つめる日々の中、ある論文が目に留まりました。昨年発表された、台湾とニューヨークの研究チームがストラディバリの楽器の木質を解析した論文なのですが、異常な数値の天然由来のナトリウムが検出されていました。そして同時期に製作された他の国の楽器では検出されていませんでした。それを読んだとき、得も言われぬ感覚に陥りました。グラフと数字を読んでいる自分が、歴史と一つ、一つと繋がり、思わぬ方向へ流されていく感覚です。 クレモナはイタリア最長の河川、ポー川に面した街です。ストラディバリが活躍していた当時、川は物資の輸送の要、今で言う高速道路の役割を果たしており、数多くの大都市が河川沿いに発展しました。ストラディバリなど、クレモナの製作家たちはポー川で結ばれたヴェネツィアから運ばれてくる木を使ってバイオリンを製作をしたと言われてきました。その事について初めて言及したのが、史上初めてのバイオリンコレクターでもある、コッツィオ・ディ・サラブーエ伯爵(1755-1840)です。彼はストラディバリやガルネリを大量に集め、その偏執的な性格からCarteggioと呼ばれる膨大な量の記録を残しました。その中で、「ストラディバリが使用していた木はヴェネツィアのアルセナーレに水中貯木して寝かした木を使用していた」という記述があるのです。しかし、これが書かれたのはストラディバリが死んで40年ほど後、ストラディバリのニスのレシピの記述など、今では明らかに間違いであると判る記述もあるので、信憑性がそれほど高いものでありませんでした。
ヴェネツィアの「アルセナーレ」とは造船所の事を指します。造船といってもヴェネツィア名物のゴンドラを作るところではなく、主にガレー船といわれる、輸送船または海戦用の軍艦を作っていたところです。 ヴェネチア共和国は700年代から1700年代後半まで約1000年続いた、歴史上最も長く続いた共和国で、その安定した政治体制から別名、「La Reppublica Serenissima平穏の共和国」 と呼ばれていました。しかし実情は、中東への飽くなき覇権拡大から絶えず他国と交戦し、交易を拡大、国を挙げての中東への観光事業を行うなど、それはそれは騒がしい都市でした。 そして、その基幹を担っていたのが、造船業です。輸送を担った巨大なガレー船はもちろん全てが木製で大量の木材が必要となりました。その需要に応えるためヴェネチアには、その圧倒的な領土と財力で、東は東欧から、北はアルプスから大量に木材が昼夜を問わず運ばれて来ていました。運ばれてきた材木はまず、ヴェネツィア南部で税関もあるザッテレ地区に運ばれていました。ザッテレとはイタリア語で「いかだ」「木材運搬用いかだ」の事。木材業者が地名の由来となっています。そのザッテレ地区で仕分けした後、ヴェネツィア東部の造船所アルセナーレに運ばれていました。
1700年代の記録によると、1年間に42万本もの木材が運び込まれていました。既にヴェネチア共和国が衰退し始めていた時代でこの数ですから、その旺盛さには目を見張るものが有ります。当時のアルセナーレの記録に、「木材をむやみに損失した者は、死を持って償う」との文言があり、これでもまだまだ木材が不足していた様子がうかがえます。アルセナーレの職人たちが木を削る様子は、ダンテの「神曲」地獄篇の中でも美しく謳われています。
この運ばれてきた大量の木材は製材を待つ間、水中貯木と言って水の中に浮かせていました。こうすることで急激な乾燥での割れを防いだり、水中微生物の効能への期待など、日本でも行われている伝統的な方法です。
造船所アルセナーレ
このアルセナーレに水中貯木されていた木の中で、交易でクレモナに運ばれてきた木をストラディバリが使っていたと言われてきたのです。 昨年のストラディバリの木質を解析した研究では、天然由来のナトリウムが大量に検出されました。大量にナトリウムが木質の中にまで入り込むにはある程度漬け込む必要があります。木材研究では、水中貯木では丸太の芯材にまで均等に水が浸透するには18か月かかるとされる研究があります。そしてヴェネツィアのアルセナーレは海水です。その事から今回の結果は、ストラディバリがアルセナーレで水中貯木していた木を使っていた証拠になり得ます。 そして、この研究には続きがあります。このナトリウム成分が長期間の演奏による木質の変化(リグニン・ヘミセルロースの崩壊)を促進しており、ストラディバリの独特な音質の要因になっていると結論付けています。 これが事実だとすれば、1000年の繁栄を誇った共和国が衰退していく中で、 最後に大輪の花を咲かせるかのように、文化が大きく花開き人々が狂乱していたヴェネチアの片隅で、職人たちの働く音だけが響く造船所が、バイオリンの「音のゆりかご」になっていたようです。 最新の解析技術と数字を見つめながら、意識が歴史の彼方へ流されていき、 まるでアルセナーレの木の様に漂っている感覚。 まだまだクレモナからは離れられそうにありません。
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西村翔太郎
1983年 京都府に生まれ、9歳より長崎県で育つ。吹奏楽でトランペットを演奏していたことから楽器製作を志す。偶然テレビで見たオイストラフのドキュメンタリー番組に影響を受け、ヴァイオリンに興味を持つ。国内外の製作家を取材するなど製作家への道を模索しながら、高校時代に独学で2本のヴァイオリンを作り上げる。2002年 ガリンベルティを筆頭とするミラノ派のスタイルへの憧れから、ミラノ市立ヴァイオリン製作学校に入学。製作をパオラ・ヴェッキオ、ジョルジョ・カッシアーニ両氏に、ニス塗装技術をマルコ・イメール・ピッチノッティ氏に師事。2006年 クレモナに移住。クレモナトリエンナーレで最高位を獲得したダヴィデ・ソーラ氏のヴァイオリンに感銘を受け、この年から同氏に師事。2010年イタリア国内弦楽器製作コンクール ヴァイオリン部門で優勝と同時にヴィオラ部門で第3位受賞。2014年シンガポールにて、政府関係者や各国大使の前で自身が製作したカルテットでのコンサートを催す。
2018年クレモナバイオリン博物館、音響・化学研究所によるANIMAプロジェクトの主要研究員を務める。
2018年よりマレーシア・コタキナバルにて、ボランティア活動として子供達の楽器の修理やカンファレンスを行う。
CultralViolinMakingCremona会員
関西弦楽器製作者協会会員
主な楽器使用者
アレクサンダー・スプテル氏
(ソリスト・元SSOコンサートマスター)
森下幸次 氏
(ソリスト・大阪交響楽団コンサートマスター)
木村正貴 氏
(東京交響楽団フォアシュピーラー)
立木茂 氏
(ビオリスト・弦楽器指導者協会理事長)