進化
バイオリンは常に進化している。日本では「突然、完成した形で登場した」と語られることもあるが、決してそうではない。かのストラディバリも、独立してからの約20年は試行錯誤を続けていた。時代のニーズに合わせるため、もしくはその先を見据えてのことだと思われる。チェロを小型化してより独奏楽器へと進化したことも、ストラディバリの寄与が大きいが、その背景には1660年頃にボローニャで「巻き弦」が開発された背景がある。常に最新の流れに敏感であった。そのストラディバリの楽器ですらバロック・バイオリンであった。現在使われている現代のバイオリンとは大きく違う。ストラディバリの楽器も各時代の職人の手によって、改造されてきた。バイオリンは生まれてから一度もその進化の歩みを止めたことはない。常に進化のダイナミズムの先端に立っている。バイオリン製作に携わる者としての責任の一つは、その進化の一端を担うべく、理論的かつ幅広い視点で新しい技術を取り入れる事にあると考える。この冬、とても素敵なご縁があった。かつて、思ってもいなかったところで、貴重な実験と研究が行われていた。それを全て託して頂いた。これを製作家として、技術で活かしていくのが今の私の責任だ。
inspiration
バイオリンは造形美と機能のどちらも要求される。機能の追求から生まれた、元来備わっている機能美はもちろんのこと、コーナーやF字孔子のデザイン、ヘッドの曲線など、機能性とは離れたところでの美しさも要求される。機能と美しさ。そこに徹底して向き合っている職業は建築家だと思う。美しさをひたすら求める建築。機能をひたすら求める建築。両立の狭間で葛藤する建築。社会問題と向き合う建築。伝統を昇華する建築。哲学する建築。建築家は職人業とは比較にならないほど、幅広い事柄と向き合いながら、物作りをしている。そしてその見出す答えがあまりにも鮮やかだ。私は、同じ「機能と美」を思考する人間として、常に尊敬の念を抱き続けている。 フランク・O・ゲーリー ルイビトン財団 2014年
樹の命
チェロを製作中、常に後ろめたさが付きまとう。バイオリンでも感じるが、チェロは視覚的でより直接的に迫ってくる。樹の命を奪っているという感覚。チェロは楽器用材として製材された段階で、総量15~20kg程になる。それをひたすら削り込んでいき、最終的には4kgに満たない重量になる。その大半を削り取って、捨てていくことになる。最後の宮大工と呼ばれ、法隆寺・薬師寺の修繕・増築に携わった、棟梁・西岡常一。文句無し日本一の大工だ。法隆寺の宮大工の棟梁には1300年受け継がれてきた「口伝」があるそうだ。それは、組織運営から仕事への心構え、そして木の組み方まで多岐にわたる。しかし全ての事は、いかに樹と向き合い、組み上げた寺社を長く持たせるかに帰結する。ひたすら口伝を守り抜き、 死ぬ間際まで自身が建てたものを見に行っていたそうだ。 物を作る人間は、作るときに少なからず何かを壊している。奪っている。 そこに真摯に向き合うとき、迫ってくる後ろめたさが「責任」を突きつけてくる。それは一生付き纏う。責任はイタリア語でResposabilita 語源はラテン語でRespondibilitas本来は答える・応えるという意味だ。 樹が突きつけてくるものに、常に応えるように仕事をしていくこと。これが責任なのだと、樹が教えてくれる。