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ガルネリ型のバイオリンを初めて作ることになった。クレモナに移って以来、バイオリンを50本以上(数えたことがない)を作ってきて、一度もガルネリ型を作ったことがなかった。それには、はっきりした理由があった。「美しくない」ただこの一点に尽きる。左右非対称、コーナーのラインに無理がある、F字孔がもう目も当てられない。。。一歩たりとも近づく気になれなかった。近年アメリカを中心に、ガルネリ型の楽器が今までに増して作られるようになっている。昨年アメリカで行われた有名なワークショップにおいて、新しい楽器のデザインがテーマであったが、そこで基準とされたボディーの各サイズや膨らみのラインまで、ガルネリが参照された。こうなってくると製作家としては、にわかに気になってくるものである。私は楽器を作るにあたって、音響学的アプローチを機軸に据えて進めていく。その恩恵として、音に関して一定の評価を得ているし、大きく想定から外れた楽器が出来上がることは全くといってない。 しかしそれは同時に、「想定以上のものはもたらさない」のである。このガルネリ型への機運は、マンネリズムを打開しようともがいている時でもあった。幸運なことに、懐の深いバイオリニストの方が、ガルネリ型へ挑戦することに理解を示してくださり、「ガルネリトライヤル」が始まった。先ずは指針とする楽器の選定からだ。数あるガルネリの銘器の中でどれを選ぶのかは、歴史の中での評価を参照するのが一番であると考えた。製作家の歴史の中で一番参照されたのは、パガニーニが愛用していた「Cannone」だろう。パガニーニに直接頼まれてコピーを作った天才製作家ビヨームを始め、その後数多くのコピーが作られ、現在でもガルネリ型といえば、先ずはこれだ。しかし、「Cannone」はサイズがとても大きく、ストラディバリとの違いを期待する今回の試みには向いていないと考えた。 (たとえ、ビヨームのストラディバリ型とガルネリ型を何回か聞き比べて、常に圧倒的にガルネリ型が鳴っていたが。) では、演奏家の評価ではどうか。ガルネリの中で、 恐らくもっとも多くの名バイオリニストに寵愛されたのは、1741年「Vieuxtemps」ではなかろうか。この楽器の最初の著名な持ち主は、名前の通りバイオリニスト・作曲家のアンリ・ビュータンである。その後、彼の弟子のウジェーヌ・イザイの手に渡る。そしてユーディ・メニューインが一時期使用し、彼が所有していたストラディバリ「Soil」よりも優れたバイオリンであると書き残した時には、銘器として保証されたのである。その後、イツァック・パールマン 、ピンカス・ズッカーマンと渡り歩き、現在はアン・アキコ・メイヤースが、所有者である楽器収集家フートンより貸与されている。この近代バイオリン史を陰で支えたと言ってもよいバイオリン「Veuxtemps」この楽器に挑戦することに決めた。ありがたいことに銘器中の銘器である「Veuxtemps」は、精密な写真や計測数値、膨らみのラインなど、基本的な資料だけでなく、最新の音響学的アプローチである楽器特有の周波数「ボディーモード」や、ボディーモードが発生している時の3Dイメージ映像まで存在する。ここまで細かな資料がある楽器もまれだ。 どれだけ今、注目されているかが良くわかる。「Veuxtemps」のボディーモードを見ると、どうして他の銘器と違うのかが解る。ボディーモードには特徴的な周波数や周波数帯には名前がついている。低周波域に現れる、A0モード CBRモード B1-モード B1+モード、中域に現れる周波数帯 C4モード ブリッジヒル トラジションヒル高周波域の   アッパーヒルこの中である程度、楽器の性格との関連性がわかってきている低周波域において、「Viuextemps」は他のストラディバリに比べて、驚異的な周波数とデシベルをたたき出しているのである。この数値が今回のターゲットである。ストラディバリとは全く違う造形で、全く違う周波数とデシベルを狙う。    どう転ぶのか不安でもあるが、新しい境地を見せてくれることは確かだと思う。

クレモナには、一年に一度行われる「謎のインド人の行進」がある。今年は10日ほど前に行われた。数百人のインド人が色とりどりの伝統衣装に身を包み、太鼓を打ち鳴らし、彼らの言葉で何かを叫びながら、クレモナの大通りを練り歩いていく。衣装や音楽はお祭りなのだが、その表情や叫び声は何かを訴えているようでもあり、何のために行われているのか判別としない。大通りをカラフルな色で埋め尽くす様は、自分がどこの国にいるのか解らなくなる。クレモナ県には現在7000人のインド人がおり、外国人の内17%を占めている。殆どが酪農に従事しており、酪農が基幹産業となっているクレモナにとっては欠かせない存在である。一方で、クレモナ市街で生活をしていると、彼らがこれほどの数がいるとは俄には信じられない。それは彼らは酪農が行われる周辺の町や、牛舎に住み込みで働いているからである。この大通りを突如占領する「大行進」にイタリア人の反応もさまざまである。いつものことかと眺める者、唖然とする者、罵詈雑言を浴びせる者。その中で好意的な視線を見つけるのは難しい。 しかしこの「大行進」の面白いところは、最後の列のインド人は、道を綺麗に掃除をしながら、沿道にいる見物人に水やジュースを配ってまわるのである。そして綺麗になった道を残し彼らはまた郊外へと消えていくのである。イタリアは移民問題に頭を抱えている。それは生活保護需給者が増え財政を圧迫し、犯罪の増加が懸念されるからだ。不況と共に問題はより顕著化している。 しかし、インド人の犯罪率は他の東欧系外国人や南米系外国人より低く、生活保護需給率も低い。今後も増えていくインド人は、「良き隣人」となりえるのか。その時クレモナは「良き隣人」だと認められるのか。クレモナも揺れている。

新しく設計したビオラを届けに、ロンドンへ。自分の楽器が少しづつでも、世界中へ広がっていくのは、この上なく嬉しい。この業界において、日本人であること。それは長年、ハンディと思い悩むこともあり、どうにかそれを強みに変えなければと、試行錯誤をしてきたりもした。来るべき時代は、そんな事をもう考える必要がないのかもしれない。

木の声を聞く。木の仕事に携わる人間が良く口にする言葉だ。それはバイオリン職人も同じこと。ならば声を聞いた後にどうするか。声を聞き、その木の声に導かれるまま一心に彫るのが木彫家なのだろうか。木の声から癖を見抜いて、「癖を活かす場所に配置する」と言ったのは、日本一の宮大工と呼ばれた、西岡常一だ。バイオリン職人にもいろいろな向き合い方があると思う。私は機械を使わない。アウトラインを切る時も、中世の時代から変わらない西洋鋸で切っていく。この時から木のささやきが聞こえ出す。「固い」「柔らかい」「硬さにむらがある」荒削りをする頃には、はっきりと声が聞こえだす。 「やわらかく、癖がない」「中心部は詰まっているが、左右が強くねじれている」 その声を冷静に見つめる。自分の求める「音」へと導いていくための、対話が始まる。膨らみを決る。これは人間の側からの、木への提案だ。そして内側を削り、Fを切る頃には、木との協議に入る。 厚みを0.1ミリ削っては、重さを量り、周波数を計り、木からの返事を聞く。対話が上手くいかないことのほうが殆どだ。木は楽器になるために育ってきたわけではないからだ。対話がまとまらないのであれば、そもそもの提案を変える必要がある。躊躇なく膨らみをやり直し、バスバーを新しく作り直すことも稀ではない。こうして、「音」という着地地点へと、木と共に探っていく。木の声を聞くだけでは、そのつど出来上がる楽器が、声だけに左右されてしまう。人間側の提案を押し付けるだけでは、木を生かせない。 「木の声を聞く」だけではいけない。「木とせめぎ合う」

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Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
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