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  ガルネリの造形とは一体なんであろうか。細部の木工技術は決して褒められたものではない。しかしその造形は、多くの製作家を惹きつけていることは事実だ。一体その魅力はどこにあるのか。 ストラディバリとガルネリを比べる時、その造形をこう分けられるのではないだろうか。          アポロン的なストラディバリ、デュオニソス的なガルネリ  アポロン的・デュオニソス的という分類法は、哲学者ニーチェの処女作「悲劇の誕生」に登場する。作曲家ワーグナーへの敬愛を示すために書かれたともいえる本書の中で、古代ギリシアの文化の考察を通して、この二つの分類が提示される。概要を簡素にまとめるとこうだ。アポロン的とは:理性 合理性  計画性 客観性 デュオニソス的とは:陶酔・熱狂性 感情性 刹那性この分類法は美術批評の中ではとっくに使い古されたものではあるが、楽器に対して考察されたことは、今までに無いのではなかろうか。Stradivari "Cremonese"              Guarneri del Gesu' " Viuextemps"ストラディバリの造形は、その線を少しずらしただけで全体のバランスが崩れてしまう、絶妙な緊張感の上に成り立つアウトライン、機能性と美しさの調和として立ち現れる膨らみ、完璧に対称で装飾的な F字孔。「アポロン的」の由来となった太陽神アポロンの名にふさわしい、神々しく、権威的な造形である。一方、ガルネリはどうか。荒々しく歪なアウトラインは理性によってコントロールされているというよりは、その瞬間の自己表出に支配されている造形だ。各部位から立ち上がってくる膨らみは調和を見ることなくぶつかり合い、そのエネルギーのはけ口として、放射方向に角ができている。F字孔は上下の丸の位置だけを決めると、残りは即興的にフリーハンドで切られ、対称性など無視したそのスピード感には、狂気すら漂う。いや、音の情景への狂喜と言うべきか。  まさに、「デュオニソス的」の由来となった陶酔・酩酊の神デュオニソス(バッカス)を体現するかのような造形だ。製作家が、ガルネリに惹きつけられる時、ガルネリの陶酔感・即興性から放たれる「造形したい」という欲望、増殖させたいと願う本能へと繋がるリビドー、(初期の草間弥生のような)短命に終わったその人生から立ち昇る刹那的タナトスの香り、(アントワン・ダガタの写真のような)これらのものが響き合い、製作者の本能と共鳴しているのではなかろうか。その時の高揚感は、細部の技巧の良し悪しなど忘れさせるのではないか。  *今和次郎の「造形論」の中で説かれる、物を作る人間が元来備える「造形感情」が、均質化する世界の中で抑圧された時に、ガルネリの放つ原初的な「造形感情」に共鳴し、呼び起こされているとも言える。50年代にこの分類法に結びついて、日本の建築界を二分し、弥生的か縄文的かと伝統論争が起き、そこで語られた事をも想起させる。ニーチェはニヒリズムが浸透した世界では、デュオニソス的な熱狂によって、人間本来の生命力が復活すると説く。ガルネリのデュオニソス的造形と、攻撃的とも評される低音の響きは、人間が理性で覆い隠しているものを呼び起こす、雄叫びなのかもしれない。

Guarneri del Gesu 1741Viuxtemps  今回、取り組んでいるガルネリ1741年「Viuxtemps ビュータン」は、その輝かしい経歴のほかに、もう一つこの楽器を有名にしたエピソードがある。「ビュータン」は”世界で一番高いバイオリン”と言われているのである。「ビュータン」には双子と言われているもう一台の楽器がある。1741年「Kochanski コチャンスキー」。「ビュータン」と同じ年に製作されたこの楽器は、一台一台、気まぐれに製作され、細部で共通点を見つけることが難しいガルネリにおいて、アウトラインや膨らみ、コーナーの処理が良く似ており、なにより表板が同じ樹から作られている。(F字孔は全く違うが)Guarneri del Gesu 1741 Kochanski7年ほど前、「コチャンスキー」はバイオリ奏者アーロン・ローザンドが使っていたが、それを手放すことになり、オークションに出された。ガルネリは100本ほどしか現存せず、オークションに出るのが大変稀なため、 その時の落札額が約9億円という、バイオリンとして当時の歴代最高額を記録した。 *その後、日本音楽財団がストラディバリ1721年「Lady Blunt レディーブラン」を売りに出し、約13億円の値がつき記録を更新した。これは「レディーブラン」がストラディバリがつけたオリジナルのバスバーが一緒に保管されていて、歴史的価値が高いためこの値段になった。日本音楽財団はその収益を全て東日本大震災の支援金に当てている。この落札額を聞いて「ビュータン」を所有していた人物が(恐らく現在の所有者フートン)、双子の楽器でさらに輝かしい経歴の「ビュータン」ならもっと高い値段でも買い手がつくだろうと、18億円で売りに出したのである。このニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、こうして「ビュータン」は”世界で一番高いバイオリン”だと世界中で知られることとなった。しかし、結局誰も買い手がつかず、”世界で一番高い”称号は現在お預けとなっている。この色々な意味で人々を魅了している「ビュータン」これに挑戦するに当たり、その特異なボディーモードがターゲットであることは前回述べたが、もう一つ重大な課題がある。それは、どのような外観に仕上げるかという課題である。いかんせん、そのままコピーをしては、美しくないのである。 しかし、ボディーモードの特異性は調べれば調べるほど、ガルネリ独自の造形が深く影響していることがわかってくる。そうなってくると、好きなように整えるわけには行かず、音響的効果を残しながら、モダンさを加えるという、より難しい課題が立ちはだかった。くる日もくる日も、ガルネリの大胆な造形と向き合い、少々めまいがしてきた。

ガルネリ型のバイオリンを初めて作ることになった。クレモナに移って以来、バイオリンを50本以上(数えたことがない)を作ってきて、一度もガルネリ型を作ったことがなかった。それには、はっきりした理由があった。「美しくない」ただこの一点に尽きる。左右非対称、コーナーのラインに無理がある、F字孔がもう目も当てられない。。。一歩たりとも近づく気になれなかった。近年アメリカを中心に、ガルネリ型の楽器が今までに増して作られるようになっている。昨年アメリカで行われた有名なワークショップにおいて、新しい楽器のデザインがテーマであったが、そこで基準とされたボディーの各サイズや膨らみのラインまで、ガルネリが参照された。こうなってくると製作家としては、にわかに気になってくるものである。私は楽器を作るにあたって、音響学的アプローチを機軸に据えて進めていく。その恩恵として、音に関して一定の評価を得ているし、大きく想定から外れた楽器が出来上がることは全くといってない。 しかしそれは同時に、「想定以上のものはもたらさない」のである。このガルネリ型への機運は、マンネリズムを打開しようともがいている時でもあった。幸運なことに、懐の深いバイオリニストの方が、ガルネリ型へ挑戦することに理解を示してくださり、「ガルネリトライヤル」が始まった。先ずは指針とする楽器の選定からだ。数あるガルネリの銘器の中でどれを選ぶのかは、歴史の中での評価を参照するのが一番であると考えた。製作家の歴史の中で一番参照されたのは、パガニーニが愛用していた「Cannone」だろう。パガニーニに直接頼まれてコピーを作った天才製作家ビヨームを始め、その後数多くのコピーが作られ、現在でもガルネリ型といえば、先ずはこれだ。しかし、「Cannone」はサイズがとても大きく、ストラディバリとの違いを期待する今回の試みには向いていないと考えた。 (たとえ、ビヨームのストラディバリ型とガルネリ型を何回か聞き比べて、常に圧倒的にガルネリ型が鳴っていたが。) では、演奏家の評価ではどうか。ガルネリの中で、 恐らくもっとも多くの名バイオリニストに寵愛されたのは、1741年「Vieuxtemps」ではなかろうか。この楽器の最初の著名な持ち主は、名前の通りバイオリニスト・作曲家のアンリ・ビュータンである。その後、彼の弟子のウジェーヌ・イザイの手に渡る。そしてユーディ・メニューインが一時期使用し、彼が所有していたストラディバリ「Soil」よりも優れたバイオリンであると書き残した時には、銘器として保証されたのである。その後、イツァック・パールマン 、ピンカス・ズッカーマンと渡り歩き、現在はアン・アキコ・メイヤースが、所有者である楽器収集家フートンより貸与されている。この近代バイオリン史を陰で支えたと言ってもよいバイオリン「Veuxtemps」この楽器に挑戦することに決めた。ありがたいことに銘器中の銘器である「Veuxtemps」は、精密な写真や計測数値、膨らみのラインなど、基本的な資料だけでなく、最新の音響学的アプローチである楽器特有の周波数「ボディーモード」や、ボディーモードが発生している時の3Dイメージ映像まで存在する。ここまで細かな資料がある楽器もまれだ。 どれだけ今、注目されているかが良くわかる。「Veuxtemps」のボディーモードを見ると、どうして他の銘器と違うのかが解る。ボディーモードには特徴的な周波数や周波数帯には名前がついている。低周波域に現れる、A0モード CBRモード B1-モード B1+モード、中域に現れる周波数帯 C4モード ブリッジヒル トラジションヒル高周波域の   アッパーヒルこの中である程度、楽器の性格との関連性がわかってきている低周波域において、「Viuextemps」は他のストラディバリに比べて、驚異的な周波数とデシベルをたたき出しているのである。この数値が今回のターゲットである。ストラディバリとは全く違う造形で、全く違う周波数とデシベルを狙う。    どう転ぶのか不安でもあるが、新しい境地を見せてくれることは確かだと思う。

クレモナには、一年に一度行われる「謎のインド人の行進」がある。今年は10日ほど前に行われた。数百人のインド人が色とりどりの伝統衣装に身を包み、太鼓を打ち鳴らし、彼らの言葉で何かを叫びながら、クレモナの大通りを練り歩いていく。衣装や音楽はお祭りなのだが、その表情や叫び声は何かを訴えているようでもあり、何のために行われているのか判別としない。大通りをカラフルな色で埋め尽くす様は、自分がどこの国にいるのか解らなくなる。クレモナ県には現在7000人のインド人がおり、外国人の内17%を占めている。殆どが酪農に従事しており、酪農が基幹産業となっているクレモナにとっては欠かせない存在である。一方で、クレモナ市街で生活をしていると、彼らがこれほどの数がいるとは俄には信じられない。それは彼らは酪農が行われる周辺の町や、牛舎に住み込みで働いているからである。この大通りを突如占領する「大行進」にイタリア人の反応もさまざまである。いつものことかと眺める者、唖然とする者、罵詈雑言を浴びせる者。その中で好意的な視線を見つけるのは難しい。 しかしこの「大行進」の面白いところは、最後の列のインド人は、道を綺麗に掃除をしながら、沿道にいる見物人に水やジュースを配ってまわるのである。そして綺麗になった道を残し彼らはまた郊外へと消えていくのである。イタリアは移民問題に頭を抱えている。それは生活保護需給者が増え財政を圧迫し、犯罪の増加が懸念されるからだ。不況と共に問題はより顕著化している。 しかし、インド人の犯罪率は他の東欧系外国人や南米系外国人より低く、生活保護需給率も低い。今後も増えていくインド人は、「良き隣人」となりえるのか。その時クレモナは「良き隣人」だと認められるのか。クレモナも揺れている。

新しく設計したビオラを届けに、ロンドンへ。自分の楽器が少しづつでも、世界中へ広がっていくのは、この上なく嬉しい。この業界において、日本人であること。それは長年、ハンディと思い悩むこともあり、どうにかそれを強みに変えなければと、試行錯誤をしてきたりもした。来るべき時代は、そんな事をもう考える必要がないのかもしれない。

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Tue ‒ Thu: 09am ‒ 07pm
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