Japanese Chisels
日本から新しい小道具(彫刻鑿)を連れて帰ってきました。行きつけの刃物店にお願いをして、特注でヨーロッパの刃物のカーブと刃幅にしてもらい、持ち手までの長さも使いやすうように短く作ってもらいました。 一度日本の刃物の切れ味、研ぎ心地を体感すると、もう離れられません。ただバイオリンはすべて、曲線でできているので、刃のカーブがとても大切になってくるのですが、 日本の伝統的な刃物で同じカーブを見つけるのがとても難しいのです。 若造の分際でも、とても親身にしてくださるお店なので、失礼承知でお願いしてみたところ、特別にと承知していただき、作っていただきました。しかも、刃幅もカーブも寸分違わずピッタリ。日本の職人さんには脱帽するばかりです。なんと作りの丁寧で美しいこと。店主の方と話をしていると、話の端々に出てくる、ここを愛顧にしている方の肩書きに、足が震えます。 お願いを承諾していただいた時の店主の方の「まだ今は、こういうこともお受けできますが・・・」とのお言葉が気にかかりました。職人さんの高齢化と担い手不足が顕著なようで。 やはり、「職人のための職人」「作り手のためのモノ作り」は光が当たりにくいため、難しいのですね。こういう方々が本当にモノ作り、通しては日本の文化を、支えているのですが。最近、よくお話を聞かせて頂いている方に、伝統的な日本の接着剤、ニカワの製造に携わっている方がいらっしゃいます。この方は、幅広い分野の職人に向けて、いろいろな形で情報を発信して、伝統的なニカワの復権に力を注いでいらっしゃいます。それが今では日本を出て、イタリアにまで浸透してきています。メディアが力を増し続け、情報が「モノの価値」を左右してしまう市場原理の中で、職人も昔ながらに寡黙で居続けるのは、難しくなってきていると感じます。 さてこちらは、スイス製のノミ。これはこれで素朴な良さはあります。昔、研ぎの基礎を教えてくれた方が 、「ちゃんと研げば、バイオリン製作に必要な切れ味は、どんな刃でもつく」と。重い言葉です。。。まだまだ、道具の良さに頼りそうですが、もっともっと腕を上げて、この小道具の本当の切れ味を引き出せるよう頑張ります。それが職人さんへの一番のお礼ですね。やはり職人である以上、仕事をしているときは寡黙に実直にやらねばならぬことが、沢山あるようです。
Good trip in Singapore
シンガポールには日本にはない形の未来像がありました。近未来的な建築群が整然と並ぶ街中で、様々な人種や民族が、カタコトの英語(シングリッシュと呼ばれる)でコミニュケーションを取り合い、それぞれの人種や民族ごとに地区を作り、その中で自分達の文化や宗教をそのまま持ち込んで暮らし、その代わり、他を一切干渉しない。ボーダーレスな未来志向に、多民族のカオスがうまく共存していました。共通言語で政治・経済・教育をシステマチックに成り立たせ、文化や宗教の多様性はそのまま受け入れている。移民問題が深刻化しているイタリアで暮らし、移民を受け入れるかどうかを検討する日本を見ている身として、シンガポールは移民問題を乗り越えた先の、一つの理想像ではないかと感じました。(世界で一番安全なアラブ人街と呼ばれる地区がありました。)なんでも飲み込むアジアの「カオス」は、欧米の言う「グローバル社会」にはない、懐の深さを感じました。 そして、またバイオリンが素敵な方に貰われていきました。シンガポール・シンフォニー・オーケストラで20年に渡ってコンサートマスターを務め、今年からはアドバイザーを務めるアレクサンドル先生。本当に楽しそうに、ずっとバイオリンを弾き続けていらっしゃいました。話してはバッハを弾いて、 また話してはジプシーの曲を弾き。音楽の中を自由に飛び回って、たまに戻ってきて人と話すといった感じで、とても羨ましく思いました。 この地でいろいろな文化背景を持つ人たちが音楽を共有するという素敵な時間に、僕の楽器の音が加わらせてもらえることは、これからの製作活動の大きな希望となってくれると思います。
New Cello for Tokyo
夏からの仕事であるチェロが大詰めを迎えました。11月の東京弦楽器フェアーに展示させて頂きます。今まではストラディバリの「B型」と呼ばれる型をベースに製作していたのですが、今回は一からデザインした、完全オリジナルモデルです。低音域に影響を与える共振周波数である「-B1」の動きを重視した設計で、力強い重低音がコンセプトです。 弾き試すのが楽しみです。同時にバイオリンも製作していたので、ヘロヘロです。ここまで追い込んで仕事したのは、久しぶりです。11月は日本で思いっきり羽を伸ばそうと思います!以下、製作風景。
Taste of summer
「Fico d'India」 イタリアでインドのイチジクと呼ばれるこの果物。本当はイチジクではなく、サボテンの実。この夏、南イタリアのプーリアに行った時に出会いました。プーリアの語源が「乾いた土地」というだけあって、そこらじゅうに道草のように、サボテンが生えていました。大きく根付いたサボテンのその先に、似つかわしくないこの小さな実が、手のような平たい葉から、 こちらに差し出すかのように生っていました。熟れたスイカのような食感と、まさにイチジクのような甘味。いろいろな土地をめぐって、沢山の素敵な人達と出会い、同じ時間を共有できたこの夏を、これから毎夏、このサボテンの実が思い出させてくれると思います。
One day trip for Salo’
涼しさを求めて、サロ湖に。ここは裕福な人たちの別荘とボートが並ぶ、豪奢な避暑地。しかし豪奢な暮らしと無縁なバイオリン製作者にとってはなんといってもガスパロ・ダ・サロ率いるブレーシャ派の本拠地。 こちらがガスパロ・ダ・サロ。一昔前までは「バイオリンを発明した人」とも言われていた人。確かにはっきりと史実に名前が残っているバイオリン製作者としては、一番最初の人ではあります。(詳しいバイオリンの歴史は長すぎるんで、別の機会に)で、この有名なガスパロ・ダ・サロの胸像。バイオリンの中心の接着が剥がれ、悲しいお顔・・・。製作家であれば誰もが一度は経験のある接着の剥がれ。それがこんなにパックリと。 もうこれはトラウマです。なぜこんな最悪の瞬間を胸像にしたのか不思議に思っていました。それが、名前の下を見てようやく分かりました。 イタリアの詩人・革命家のダンヌッツォの詩が書かれておりました。世界に先駆けてファシズム革命を目指し、独立国家フィウメを実際に樹立、後にムッソリーニや三島由紀夫に影響を与えた人。 革命に失敗した後はここで隠遁生活を送っていたそうです。この詩を訳すと胸がさかれて バイオリンが作られようとしてるのか、バイオリンがさかれて 心に入ろうとしているのか。う~む。わかるような、わからないような・・・。さすがラディカルなおじさんです。それでも、やはりバイオリン製作家には切なすぎる胸像です・・・・。湖畔沿いはおしゃれなカフェが並んでました。日差しのきつい暑い日だったので、すっきりとヴェネツィアのカクテル、スプリッツでしめました。